自己紹介

私は今日まで40年余り、主に体育・スポーツ科学とスポーツ社会学の分野で研究活動を行ってまいりました。しかし、その研究の関心が「暴力や怪我、痛み」といった周縁的事象に一貫して向けられてきたため、自ずと調査研究の範囲と視野は、研究者コミュニティや学術文献の収集等も含めて、既存の学問分野の外部へと拡大し、常に学際的なものとなってきました。

ここには、スポーツにおける暴力と怪我、痛みのもつ「特異性」をめぐる学問的認識の起点の相違が関わっています。すなわち、スポーツにおける暴力と怪我、痛みを「所与の事象」として、「当事者の立場」から「ノーマルなもの」「スタンダードなもの」として捉え、その意味を社会・文化的パースペクティブにおいて理解することが一方にあります。このような研究のスタンスは、西欧・北米諸国の研究者コミュニティでは一般的なことです。それに対して我が国では、その研究の出発点において「暴力根絶」といったイデオロギー的枠組みの中で「暴力事象」の矮小化を企図したり、あるいはまた医・科学的知見を通してのみ怪我や痛みのリスク軽減を企図する研究を中心化するなどして、怪我や痛みのもつ社会・文化的な意味を探るような研究が輩出してこなかった現実があります。当然のことながら、私のスタンスは前者にあります。

私は、学部時代には武道学科に身を置き、今日まで剣道の実践者・指導者として大学の剣道部の指導に従事する基礎を培いました。卒業後、日体大で剣道の稽古と研究の傍ら、3年間の研究生時代を含めて東京教育大の大学院で6年間、1970年代からの一時期、歴史学と社会学における新たな潮流を築いていた「社会史」の研究動向に関心を寄せました。その後、東北大学教養部、東北大学医療技術短期大学部、鳴門教育大学学校教育学部そして宮崎大学教育学部で教育者として、また研究者としてキャリアを積みながら、スポーツや武道における暴力と怪我、痛み、リスクに関する社会学的研究を行ってきました。そして現在は、それらの研究の成果を「エッジワーク edgework」という視点と方法から捉え直し、これまで「リスクの回避や軽減」を主たる目的としてきた我が国のリスク学の研究では、ほとんど顧みられることのなかった「自らリスクを冒す行動 voluntary risk taking」のポジティブな意味を掘り起こし、それを「リスクの人間学的研究」として位置づける作業に取り掛かっています。社会史は伝統的歴史学の傍流・周縁に置かれていましたが、いま改めて振り返ってみても、「周縁から中心を穿つ」という私の研究スタイルに及ぼしたその影響の大きさを実感しています。

以下に、私の今日までの研究主題を「スポーツにおける暴力」と「スポーツにおける怪我・痛み・リスク」、そして「戦後民主主義と武道」の3つに大きくまとめ、今日まで引き継がれている主要な論点を簡単に要約しておきます。

1.スポーツにおける暴力

1983年、北米カナダの社会学者マイケル・スミスの著した著書『暴力とスポーツ』において示された「暴力はゲームの一部か」という問いは、この問題の研究に携わっているすべての研究者にとって「永遠のアポリア」(難題)として生き続けています。本書は、「選手 participant」と「観客 audience」の両方を含む、スポーツで発生する暴力の社会学的研究の全体像を体系的に著した道標となるものです。とりわけ、前者の選手のゲーム中の暴力を「スポーツ・バイオレンスsports violence」として司法の対象となる「暴力一般」から差別化し、その特異性を記述することを通して「固有の文化領域」として研究する道を拓いたことは、スポーツと文化、社会との関係性を明らかにするうえで重要な意味をもっています。

しかし近年、イギリスの社会学者ケビン・ヤングが「スポーツ犯罪sports crimes」という新たな概念を提示しているように、かつて司法の領域の外部にあって訴追を免れていたスポーツ・バイオレンスは、1990年代から暴力一般との距離を確実に縮めるようになっています。こうした研究動向を知ることは、とかくスポーツにおける暴力を「暴力根絶」といったイデオロギー的言説で矮小化し、それ以上の意味を問わせない傾向のある我が国の学会や教育界、マスメディアに対して重要な異議申し立てに繋がります。

スポーツにおける暴力の範囲は、例えば、ゲーム中の暴力的プレイは勿論のこと、部活動における上級生の下級生に対する暴力や、指導者の練習中の「ハラスメント行為」、さらにはスポーツマン・アスリートが社会において引き起こす暴力行為などに至るまで、時代の変化とともに研究の外延は限りなく拡大し、複雑化しています。それゆえ、近年の研究動向の一つとして、国際的には、スポーツにおける暴力を「ゲーム中の暴力」(=「スポーツ・バイオレンス」)に限定し、ゲームの<場>から離れたところで発生する暴力を「スポーツに関連する暴力 sport-related-violence」(Smith,M. 1983)へと分類し、その重点化の流れを「スポーツ・バイオレンスからスポーツに関連する暴力へ」(Young,K. 2008)と捉え、議論する傾向が強くなっています。ケビン・ヤングの提唱した「スポーツ犯罪」という概念は、そうした近年の新たな動向を反映したものです。その意味では、「暴力はゲームの一部か」「暴力はスポーツの一部か」を社会文化的・倫理的パースペクティブから問い直すことは、「スポーツとは何か」を問う上で、きわめて現代的意義をもっています。

2.スポーツにおける怪我・痛み・リスク

2004年2月、オスロにおいて「スポーツにおける痛みと怪我」と題してワークショップが開催されました。その成果は、2006年に『スポーツにおける痛みと怪我〜社会・倫理的分析〜』として刊行されましたが、その寄稿者の殆どが「スポーツ・バイオレンス」の研究者でもありました。その序文の冒頭で「アスリートにとって痛みと怪我はスタンダードなものである」と宣言し、それまで全体として生理学の立場から理解されてきた「痛みや怪我、肉体的な苦痛に耐えること」のオーソドックスな医・科学モデルに異議申し立てを行い、アスリートの痛みと怪我の経験に及ぼす社会・文化的影響を考察し、痛みと「怪我を押してプレイすること」が「文化の一部」となっている現実に社会・倫理的パースペクティブから問いを投げかけることの重要性を指摘しました。この宣言は、それまでスポーツにおける痛みと怪我の研究は医・科学の独占物となってきたが、結果として医・科学的研究は、痛みと怪我が社会・文化的事象であることを無視してきたことも露わにしました。

このような研究傾向は、我が国の体育・スポーツ科学にも窺えます。今から8年前、中学校における武道の必修化が現実のものとなった際、柔道の脳震盪の危険性が声高に叫ばれ、柔道の部活動中の脳震盪の発生頻度の高さを根拠に「必修化の阻止」をも主張する批判的言説の台頭すら見られました。部活動中の怪我や痛みを論拠に体育授業における「柔道の危険性」を主張する論理的・現実的破綻は勿論のこと、当事者であるアスリートの「怪我を押してプレイすること」の社会・文化的文脈に目を向けない「医・科学的モデル」の限界を見たように思いました。

ところで、柔道に限らず、その他のスポーツの部活動の臨床的<場>に身を置いてアスリートの怪我と彼らの行動を観察してみると、中学3年生と高校3年生において圧倒的に重度の怪我が多いことが判ります。すなわち、そこには、試合や練習以前に既に「怪我や痛みを抱えている選手」が「これが最後の大会だから」と言って、医師の診断と忠告を振り切って出場している現実があります。このことは明らかに「医・科学的モデル」の限界と社会・文化的パースペクティブの必要性、そして今まさに私たちに求められている最も重要な研究課題であることをも示しています。

今日、私たちは、1990年代から始まる「リスク社会」の現実を生きています。「安全・安心」は、私たちにとって日常生活の最も大事な価値である、その一方で「自らリスクを冒す」という逆説的・人間的な側面をますます露わにするようになっています。このような人間的側面をスティーブン・リングの提唱した「エッジワーク edgework」という概念を通して明らかにするのが、現在の私の最も大きな課題です。「自らリスクを冒す行動」は、私たちのスポーツ行動に通底して観察されますが、「再帰的近代」と言われる現代社会においては、登山やバックカントリースキー、さらにはエクストリーム・スポーツ等々に典型的に見られるように、それ自体、固有のスポーツ文化として、また新たな人間の生き方として立ち現れるようになっています。本ブログの第一報では、現代山岳文化を題材に、このような文化の台頭の背後にある社会の変化と人間模様に迫っていきたいと考えています。

3.戦後民主主義と武道

1991年、戦後40年余りの「空白期」を経て、学校体育で柔・剣道等の教材を「格技から武道へ」と名称変更する学習指導要領の改変がなされました。その歴史的背景には、戦後の教育改革の中で「武道」という言葉には「軍国主義」「国家主義」「民族主義」を助長する意味が含まれているという理由で、まさに法的に禁止されたという過去がありました。「武道」の復権を契機に、講義を通じて中学・高等学校の体育教員を目指す学生達に向けて、その不幸な歴史の背景に「戦後民主主義のイデオロギー批判」の運動が存在したことを本格的に伝え始めましたが、それに関する興味関心を示す学生は殆どいませんでした。

私が学部と大学院で過した1970年代は、この戦後民主主義のイデオロギー批判が吹き荒れていた時代であり、剣道を嗜んでいるというだけで、まさに「居心地の悪さ」を日常的に感じておりました。この居心地の悪さは、体育・スポーツの研究世界に身を置くすべての武道の研究者が等しく抱いていた感情でした。こうした人々にとって、1968年に学術団体として設立された「日本武道学会」はまさに救世主となるものでした。その結果、日本体育学会では居場所のなかった武道の研究者の殆どが自らの活動の拠点を日本武道学会へと移してしまうことになり、スポーツ化の進んだ柔道を除いては、今日まで体育・スポーツ科学へと再び戻ることはありませんでした。

このことは、今日まで体育・スポーツ科学の世界に武道の学問的<知>の集積が十分になされてこなかったという事態を招きました。この不幸な現実は、武道の必修化を契機に「武道を以て何を教えていけばよいのか分からない」といった悲痛な叫び声が大学の研究者や中学校の教員から上がってきたことで白日のものとなりました。武道を通して「伝統」や「固有の文化」を伝承することの意義を謳う学習指導要領を現前にして、私たち武道の研究者・指導者は、いかにして教育の現場から寄せられる期待に応えていくか、が問われ続けています。

概略、以上のことを理解していただいたうえで、これまで私の執筆してきた著書論文の紹介や公開・未公開の講演等の原稿、スポーツにおける暴力や怪我、痛みに関して現在進めている研究の内容、さらには授業研究等も含む現代の武道やスポーツに関するエッセイ、海外の学術文献の紹介、等々について本ブログで寄稿していきたいと考えております。先ずは、この10年ほどの間に招請されて行った学会等における講演内容を起こすことから始めたいと思います。

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投稿者: masarunegami

私は今日まで40年余り、主に体育・スポーツ科学とスポーツ社会学の分野で研究活動を行ってまいりました。しかし、その研究の関心が「暴力や怪我、痛み」といった周縁的事象に一貫して向けられてきたため、自ずと調査研究の範囲と視野は、研究者コミュニティや学術文献の収集等も含めて、既存の学問分野の外部へと拡大し、常に学際的なものとなってきました。  ここには、スポーツにおける暴力と怪我、痛みのもつ「特異性」をめぐる学問的認識の起点の相違が関わっています。すなわち、スポーツにおける暴力と怪我、痛みを「所与の事象」として、「当事者の立場」から「ノーマルなもの」「スタンダードなもの」として捉え、その意味を社会・文化的パースペクティブにおいて理解することが一方にあります。このような研究のスタンスは、西欧・北米諸国の研究者コミュニティでは一般的なことです。それに対して我が国では、その研究の出発点において「暴力根絶」といったイデオロギー的枠組みの中で「暴力事象」の矮小化を企図したり、あるいはまた医・科学的知見を通してのみ怪我や痛みのリスク軽減を企図する研究を中心化するなどして、怪我や痛みのもつ社会・文化的な意味を探るような研究が輩出してこなかった現実があります。当然のことながら、私のスタンスは前者にあります。  私は、学部時代には武道学科に身を置き、今日まで剣道の実践者・指導者として大学の剣道部の指導に従事する基礎を培いました。卒業後、研究生を含めて大学院で6年間、武道の実践と研究の傍ら、1970年代からの一時期、歴史学と社会学における新たな潮流を築いていた「社会史」の研究動向に関心を寄せました。その後、東北大学、鳴門教育大学、そして宮崎大学で教育者として、また研究者としてキャリアを積みながら、スポーツと武道における暴力と怪我、痛みの社会学的研究を発展させてきました。社会史は伝統的歴史学の傍流・周縁に置かれていましたが、いま改めて振り返ってみても、「周縁から中心を穿つ」という私の研究スタイルに及ぼしたその影響の大きさを実感しています。以下に、私の今日までの研究主題を「スポーツにおける暴力」と「スポーツにおける怪我と痛み」、そして「戦後民主主義と武道」の3つに大きくまとめ、今日まで引き継がれている主要な論点を簡単に要約しておきます。 1.スポーツにおける暴力  1983年、北米カナダの社会学者マイケル・スミスの著した著書『暴力とスポーツ』において示された「暴力はゲームの一部か」という問いは、この問題の研究に携わっているすべての研究者にとって「永遠のアポリア」(難題)として生き続けています。本書は、「選手 participant」と「観客 audience」の両方を含む、スポーツで発生する暴力の社会学的研究の全体像を体系的に著した道標となるものです。とりわけ、前者の選手のゲーム中の暴力を「スポーツ・バイオレンスsports violence」として司法の対象となる「暴力一般」から差別化し、その特異性を記述することを通して「固有の文化領域」として研究する道を拓いたことは、スポーツと文化、社会との関係性を明らかにするうえで重要な意味をもっています。  しかし近年、イギリスの社会学者ケビン・ヤングが「スポーツ犯罪sports crimes」という新たな概念を提示しているように、かつて司法の領域の外部にあって訴追を免れていたスポーツ・バイオレンスは、1990年代から暴力一般との距離を確実に縮めるようになっています。こうした研究動向を知ることは、とかくスポーツにおける暴力を「暴力根絶」といったイデオロギー的言説で矮小化し、それ以上の意味を問わせない傾向のある我が国の学会や教育界、マスメディアに対して重要な異議申し立てに繋がります。スポーツにおける暴力の範囲は、例えば、ゲーム中の暴力的プレイは勿論のこと、部活動における上級生の下級生に対する暴力や、指導者の練習中の「ハラスメント行為」に至るまで、時代の変化とともに研究の外延は限りなく拡大し、複雑化しています。その意味では、「暴力はゲームの一部か」「暴力はスポーツの一部か」を社会・文化的・倫理的パースペクティブから問い直すことは、「スポーツとは何か」を問ううえで、きわめて現代的意義をもっています。 2.スポーツにおける怪我と痛み  2004年2月、オスロにおいて「スポーツにおける痛みと怪我」と題してワークショップが開催されました。その成果は、2006年に『スポーツにおける痛みと怪我〜社会・倫理的分析〜』として刊行されましたが、その寄稿者の殆どが「スポーツ・バイオレンス」の研究者でもありました。その序文の冒頭で「アスリートにとって痛みと怪我はスタンダードなものである」と宣言し、それまで全体として生理学の立場から理解されてきた「痛みや怪我、肉体的な苦痛に耐えること」のオーソドックスな医・科学モデルに異議申し立てを行い、アスリートの痛みと怪我の経験に及ぼす社会・文化的影響を考察し、痛みと「怪我を押してプレイすること」が「文化の一部」となっている現実に社会・倫理的パースペクティブから問いを投げかけることの重要性を指摘しました。この宣言は、それまでスポーツにおける痛みと怪我の研究は医・科学の独占物となってきたが、結果として医・科学的研究は、痛みと怪我が社会・文化的事象であることを無視してきたことも露わにしました。  このような研究傾向は、我が国の体育・スポーツ科学にも窺えます。今から8年前、中学校における武道の必修化が現実のものとなった際、柔道の脳震盪の危険性が声高に叫ばれ、柔道の部活動中の脳震盪の発生頻度の高さを根拠に「必修化の阻止」をも主張する批判的言説の台頭すら見られました。部活動中の怪我や痛みを論拠に体育授業における「柔道の危険性」を主張する論理的・現実的破綻は勿論のこと、当事者であるアスリートの「怪我を押してプレイすること」の社会・文化的文脈に目を向けない「医・科学的モデル」の限界を見たように思いました。  ところで、柔道に限らず、その他のスポーツの部活動の臨床的<場>に身を置いてアスリートの怪我と彼らの行動を観察してみると、中学3年生と高校3年生において圧倒的に重度の怪我が多いことが判ります。すなわち、そこには、試合や練習以前に既に「怪我や痛みを抱えている選手」が「これが最後の大会だから」と言って、医師の診断と忠告を振り切って出場している現実があります。このことは明らかに「医・科学的モデル」の限界と社会・文化的パースペクティブの必要性、そして今まさに私たちに求められている最も重要な研究課題であることをも示しています。  今日、私たちは、1990年代から始まる「リスク社会」の現実を生きています。「安全・安心」は、私たちにとって日常生活の最も大事な価値である、その一方で「自らリスクを冒す」という逆説的・人間的な側面をますます露わにするようになっています。このような人間的側面をスティーブン・リングの提唱した「エッジワーク edgework」という概念を通して明らかにするのが、現在の私の最も大きな課題です。「自らリスクを冒す行動」は、私たちのスポーツ行動に通底して観察されますが、「再帰的近代」と言われる現代社会においては、登山やバックカントリースキー、さらにはエクストリーム・スポーツ等々に典型的に見られるように、それ自体、固有のスポーツ文化として立ち現れるようになっています。本ブログの第一報では、現代山岳文化を題材に、このような文化の台頭の背後にある社会の変化と人間模様に迫っていきたいと考えています。 3.戦後民主主義と武道  1991年、戦後40年余りの「空白期」を経て、学校体育で柔・剣道等の教材を「格技から武道へ」と名称変更する学習指導要領の改変がなされました。その歴史的背景には、戦後の教育改革の中で「武道」という言葉には「軍国主義」「国家主義」「民族主義」を助長する意味が含まれているという理由で、まさに法的に禁止されたという過去がありました。「武道」の復権を契機に、講義を通じて中学・高等学校の体育教員を目指す学生達に向けて、その不幸な歴史の背景に「戦後民主主義のイデオロギー批判」の運動が存在したことを本格的に伝え始めましたが、それに関する興味関心を示す学生は殆どいませんでした。   私が学部と大学院で過した1970年代は、この戦後民主主義のイデオロギー批判が吹き荒れていた時代であり、剣道を嗜んでいるというだけで、まさに「居心地の悪さ」を日常的に感じておりました。この居心地の悪さは、体育・スポーツの研究世界に身を置くすべての武道の研究者が等しく抱いていた感情でした。こうした人々にとって、1968年に学術団体として設立された「日本武道学会」はまさに救世主となるものでした。その結果、日本体育学会では居場所のなかった武道の研究者の殆どが自らの活動の拠点を日本武道学会へと移してしまうことになり、スポーツ化の進んだ柔道を除いては、今日まで体育・スポーツ科学へと再び戻ることはありませんでした。  このことは、今日まで体育・スポーツ科学の世界に武道の学問的<知>の集積が十分になされてこなかったという事態を招きました。この不幸な現実は、武道の必修化を契機に「武道を以て何を教えていけばよいのか分からない」といった悲痛な叫び声が大学の研究者や中学校の教員から上がってきたことで白日のものとなりました。武道を通して「伝統」や「固有の文化」を伝承することの意義を謳う学習指導要領を現前にして、私たち武道の研究者・指導者は、いかにして教育の現場から寄せられる期待に応えていくか、が問われ続けています。 概略、以上のことを理解していただいたうえで、これまで私の執筆してきた著書論文の紹介や公開・未公開の講演等の原稿、スポーツにおける暴力や怪我、痛みに関して現在進めている研究の内容、さらには授業研究等も含む現代の武道やスポーツに関するエッセイ、海外の学術文献の紹介、等々について本ブログで寄稿していきたいと考えております。

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