現代登山文化への社会学的アプローチContemporary Mountain-Climbing Culture – A Sociological Approach

ABSTRACT. In Japan, mountaineering has been a very popular sport among middle and old aged men and women since the latter half of 1990’s. As a result the number of accidents has dramatically increased year by year. Today it is not just a matter of safety, but also a social problem. On June 26th, 2009, eight middle and old aged climbers were killed by hypothermia on Mt. Tomuraushi in the Taisetsu Mountain Range in Hokkaido. The climb was organized by a travel agency. As such, the accident was a symbolic one in that it reflects the nature of contemporary mountain-climbing culture as a mass-media event. In 2010, The Accident Investigation Committee concluded that the accident was caused by an error of judgement about conditions on the mountain by mountain-guides. However, in this lecture, I propose that the nature of the accident originates in the socio-cultural structure rather than in the guides’ misjudgement and will try to approach the reasons for the accident from a sociological view-point. In particular, I will argue that mountain-climbing will never be a safe activity but a dangerous one, and that it will involve voluntary risk taking behavior.

Key words: mass-media event, mountain-climbing as a product, consumer society, risk-taking, risk culture, edgework, individualization, reflexive modernization

Ⅰ.はじめに

本稿では、1990年代後半から社会現象となってきた「中高年の登山」や「山ガール」と称する若い女性たちのファッショナブルな登山、さらには「ツアー登山」や「公募登山」といった登山形態を、従来の登山研究には収まりきらない新たな「登山文化」の出現として捉え、そうした文化の台頭の意味されるものを読み解くことを通して社会学の方法論的意義を問うことにする。

Ⅱ.新しい登山文化の台頭―メディア・イベントとしての登山

2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で発生した大量遭難事故は、「真夏でも凍死?」と、テレビや新聞等のニュース報道を通じて社会全体に大きな衝撃を与えた。このことは、3年あまり経った現在でも記憶に新しい。しかしながら、この遭難事故が日本の山岳史上に残るほどの歴史的大事件であったにもかかわらず、その後も登山人口は減るどころか、むしろ増加の一途を辿り、山々は人々で溢れかえっている。毎年7月に警察庁生活安全局地域課から出される山岳遭難の統計が示しているように、山岳遭難件数も遭難者も記録的に増大し、もはや「低体温症」という言葉は決して珍しいものではなく、「ありふれた日常の情景」として目にするようになっている。

ところで、トムラウシ山の遭難事故が社会に向けて放ったメッセージは、「真夏でも低体温症で死亡する」という天候の予測できない急激な悪化だけではなかった。それ以上に重要なこととして、この事故は、現代の山岳遭難が広く社会・文化的な構造に根差す特異な現象であることを暴露したことだ。トムラウシ山の遭難事故は、その発生直後からメディアを通じて様々なエピソードとして語られ、大きな社会問題へと構築されていった。

ここで、その社会問題の構築過程を顧みたとき、もっとも注目すべきことは、登山が戦後の高度経済成長を担った「経済的に豊かな世代」、すなわち、昭和15(1940)年から30(1955)年生まれの中高年世代のライフスタイルとして、90年代後半から広く社会に定着していたことだ。なかでも特徴的なことは、中高年の登山が主に、ライフコース―加齢とともに人々の辿る人生行路―の発達課題のほとんどを解決し、それまで支えてきた家庭の外に目を向け始めた「家庭の主婦」によって担われ、さらにまた、彼女たちの登山が旅行業者の企画する「ツアー登山」や「公募登山」という新たな登山の形態によって支えられていたことだ。その背景には、中高年を『日本百名山』(深田久弥)に誘うテレビや雑誌等の『特集』や、インターネットを通じて「商品としての登山」を販売するマーケットの拡大があった。

このようにメディアが媒介する文化の様態は、その後も決して変わることなく、今や中高年世代の登山だけでなく、「山ガール」や「山女」と称される都市の若い女性をターゲットにした新たな登山文化をも生み出している。もちろん、このような文化の様態は、登山だけに固有のものではなく、これまでもっぱら男性が独占していたフィッシングなどのスポーツにも見られ、「釣りガール」や「釣り女」といった言葉は、今や「ありふれた日常の情景」となっている。都市の書店の雑誌コーナーには、登山やフィッシングの用具を販売するスポーツ産業とも連携を深めながら、関連商品とファッションの写真で彩られた女性雑誌の広告が氾濫している。まさに現代の登山文化は、テレビ・雑誌等のメディアと旅行業者、そしてスポーツ産業が三位一体となって創出した社会現象なのである。その意味で、現代の登山文化の特徴を要約するならば、それは「メディア・イベントとしての登山」であり、また「消費文化としての登山」であるということに尽きるだろう。

このようなメディア・イベントないし消費文化としての登山は、わが国固有のものではなく、広く西欧社会にも見られる社会現象である。これは、リスク学の研究者であるSimon,J.(2002)が指摘しているように、先進自由主義社会に共通の特徴であり、1996年にエベレストで起きた国際公募隊の山岳史上最大の悲劇―登山家の難波康子さんが死亡した事故―をきっかけに、欧米でも90年代後半から登山文化に劇的な変容が生じていた。生還はしたが、その悲劇の当事者であるKrakauer,J.(1997)の『空へ エベレストの悲劇はなぜ起きたのか』(Into Thin Air)や、最後まで難波さんに寄り添いながら奇跡的に生還した Weathers,B.(2000)の『死者として残されて エベレスト零下51度からの生還』(Left For Dead)のように、自らの「死のリアリティ体験」を語る新たな登山文学のジャンルが登場し、それが世界的にベストセラーになることにより新たな登山文化の始まりを見たのである。一方、わが国でも、羽根田治の『ドキュメント気象遭難』(2003)や『ドキュメント道迷い遭難』(2006)、さらには『ドキュメント単独行遭難』(2012)等々の山岳遭難の原因を検証した一連のルポルタージュは、現代日本の登山文化の重要な部分を担うようになっている。

このように、現代の登山事情を理解するためには、単に「山に登る」という行為だけに止まらず、登山に関する文学やエッセー、評論等の社会に及ぼす影響の大きさをも鑑み、広く文化と社会の全体との関連で認識することが欠かせなくなっている。

Ⅲ.消費社会における登山の言説―物語性と親密感

さて、トムラウシ山の遭難事故は、その後に組織された調査特別委員会の「調査報告書」(2010)やトムラウシ山の遭難事故を考える各種のシンポジウムなどを通じて、事故は「ガイドの判断ミス」によって引き起こされたと結論づけられた。

しかしながら、一般に消費社会では、その責任の主体は必ずしも明確ではなく、事故の経験を教訓とするには限界がある。メディアも専門家集団も「皆さん、十分な準備をしてから山に登りましょう」「天候の急激な変化には十分に気を付けましょう」「気象情報には十分注意しましょう」と、通り一遍の注意を喚起することしかできない。それゆえに今、我々にとって必要なのは、「遭難」という出来事が単に、登山者の危機意識の欠如や天候の急激な悪化、さらにはガイドの判断といった単一の原因によって起きているというよりはむしろ、現代の消費社会に内在する構造的なリスク要因が複合的かつ重層的に重なり合って現象として発生しているとの認識に立ち、その背景に隠れている構造と意味を理論的に読み解くことではないだろうか。これは、社会学のもっとも得意とするところである。

このような社会学の見方を理解するには、「後期資本主義」ないしは「後期近代」―「第二の近代」とも呼ばれている―における消費社会と消費文化の論理に関する知識が必要である。紙数の関係上、ここでは詳細に述べることはできないが、たとえば、消費社会においては「登山」という行為は、メディアを通じて「身体性」ないし「身体化」(embodiment)を伴わない「記号情報」として「商品化」され、悉く「ショート・タイム」で消費されるのが特徴である。言い換えれば、「登山」という行為がメディアに媒介されることによって「メディア論理」(media logic)―「物語性」(narrativeness)―が貫かれ、「モノ」としての登山が「モノ以上のもの」になることを通して登山が「親密なもの」(intimacy)へと変容し、山に登ることによって得る価値の獲得に必要な時間の犠牲を伴わない身体的実践―「いつでも、どこでも、だれでも、安全で手軽に、そして快適に楽しめますよ」という言説―が称揚される。裏を返せば、まさに消費されているのは「登山」や「山」それ自体ではなく、それに付与された「記号」なのである。

今日、このような消費社会のメディア論理を具現化した登山情報は、テレビや新聞・雑誌の広告、旅行業者の発行するパンフレットだけでなく、ネット販売を主とするスポーツ産業―旅行業者や登山用品のレンタル・ネットショップ等も含む―の登山情報においても溢れかえり、登山の医科学・生理学的言説を悉く無化している。新聞や雑誌等のメディアは、登山医学会で発表された無色透明な医科学・生理学的知見を読者にとって親密なものとするために、「より“安全”で“楽しく”、“快適”な登山でメタボの解消」へと「物語化」する。と同時に、技術の習得の過程において決して避けることのできない痛みや苦しみを、もっぱら登山が親密なものとなるよう人々の意識から排除し、実際に山を登る経験を積み重ねることによってしか技法化しない運動技術を「疲れない歩き方」として記号化する。

まさに、このような親密感をもたらす記号情報は、インターネットを通じて社会の隅々にまで流され、近年、登山用品の「レンタル・ネットショップ」という新しい市場さえ創出する大きな力となっている。

急に富士山に登ることになったら、どうしますか・・・?
登山用品、すべて新品でそろえると、費用は6万円以上です。
すべての登山用品を1からそろえると、費用がとてもかかります。人生で1回しか登らないかもしれないのに、6万円以上かけるのは、もったいないですよ。急に登ることになって、いきなり6万円以上の費用がかかるとなると、大きな出費ですね。節約生活からはかけ離れてしまいますね。

このような「登山」言説は、経済的にも時間的にも余裕のない都市の若者層にとって実に魅力的ではあるが、「高価でも自分の用具は自分で揃え、山に登る前に十分なトレーニングと心の備えをしなければならない」ということを自明のごとく信じてきた登山家にとって、まさに衝撃的な言葉である。もちろん、そのような市場の拡大がすべてネガティブに作用するわけではなく、初めて山に登る人にとっては、登山に必要な装備や心構えを知るための貴重なネットワークになっていることは否定できない。

しかし、あらゆる機会を捉えて医科学・生理学者や登山の専門家が「登山のリスク」に警鐘を鳴らし、安全な登山とその技術の習得、さらには科学的なトレーニングの必要性を喚起しようとも、時間と身体的実践の犠牲を伴わない手軽で快適な登山の魅力は、あっという間に科学者や登山家の「専門家システム」(「専門的知識」)を突き抜け、その権威と正統性を無化してしまうことも事実である。そこでは、しばしば科学者や登山家の専門家システムは記憶の彼方に消え失せ、素人の登山者は、科学的・合理的知識に基づくよりは、むしろ登山経験のない身近な友人の「成功」言説―「昨日、富士山に登ってきたよ、あんなに綺麗なご来光を見たのは初めてだよ、感激したよ」―に感情的に反応し、山の怖さも自分自身の能力も顧みることなく行動に移してしまことさえある。

ここに、メディア・イベントとしての現代の登山文化の「落とし穴」がある。すなわち、登山に関する「行為主体」のリテラシーと思考判断力、そして自己認識の衰退がそれである。メディアを通じて獲得した「知識」が「知恵」として「生きる力」となるためには、山に入り、身を以って失敗と挫折の経験を積み重ねることを通して、「ロング・タイム」で登山の技術を身に付けることが欠かせない。にもかかわらず、このような身体化を経由しない身近な友人の「成功」言説に動機づけられた登山や、旅行業者の企画したガイド付き公募登山が、山でもっとも大切なものを、言い換えれば、正確な情況認識と判断、合理的な意思決定、そして仲間への信頼といった要素を全面的に他者に委ねてしまうことの危うさについては、これまで十分に議論が尽くされてきたとは言い難い。このことは、現代の登山文化のあり様に決定的な問題を提起する。

Ⅳ.登山への新たな視点:自己責任の原則と個人化の原理

ある意味では、これまで我々の信じて疑わなかった「生命尊重主義」と真っ向から対立する、登山における「自己責任の原則」の問題を世に問いかけたのが、山岳遭難をフィールドに現代の登山文化のあり様に警鐘を鳴らし続けてきたライターの羽根田治である。羽根田は、20年以上にわたる山岳遭難の取材経験から、この10年ほど前から安易に救助要請をする登山者が増え続けてきた実態と、そのような登山者が身体化していなければならない登山の規範やマナー、そして何よりも大切な登山の知識とスキルの欠如を深刻に受け止め、登山における「自己責任の原則」―「救助費用は登山者の責任だ」―という、現代社会の根幹に関わる問いを突き付けたのである(朝日新聞2010.8.12)。

本講演において「現代の登山事情を斬る」という演題を与えられた背景には、近年「危機意識のない登山者」が山々に溢れ、近代アルピニズムの精神を信条としている人々の間に、そうした登山者の振る舞いに言葉では言い尽くせない「違和感」があったと窺い知ることができる。この違和感を「自己責任」の問題として浮き彫りにしたのが、羽根田であった。とはいえ、この問題に関する議論は、これまでにもたびたび繰り返されてきたが、悉く「生命尊重主義」と「商業主義の論理」の大きな壁を前に撥ね返されてきた。したがって、ここでは「登山における自己責任の原則」の是非を問うことはせず、一つの議論の糸口として社会学の立場から問題の所在を明らかにすることに止める。

さて、議論の出発点として最も強調されるべきは、羽根田の提起した「自己責任の原則」が、彼自身の単なる思いつきなどでは決してなく、現代社会の構造変化の中から必然的に導き出されたものであるということだ。

アルピニストにとっては今や、ある種の懐かしさをもって語られることだが、彼らの間で「第一次登山ブーム」と呼ばれている1960年代、わが国の登山界には日本山岳会や勤労者山岳連盟などの社会人山岳会、高校や大学の山岳部やワンダーフォーゲル部、等々、多くの「中間集団」―国家と個人の間にあって個人の自由と自律を庇護する単位―が全国各地に存在し、山に憧れる多くの若者たちに、登山に必要な技術や生き方―役割、規範、掟、等々―を学ぶ機会を与えていた。と同時に、それらの中間集団は自ら「近代アルピニズムの精神」としての「パイオニア精神」を体現しつつ、「近代登山」という大きな物語の創造に参与し、多くのアルピニストの養成と彼らのアイデンティティの源となっていた。この営みはまさに、戦後日本社会の高度成長を推進した産業主義のイデオロギーと軌を一つにしていたのである。

しかしながら、60年代から続いてきた高度経済成長も限界に達し、「後期近代」あるいは「第二の近代」と呼ばれる時代が訪れた90年代以後、いよいよ産業主義のイデオロギーに陰りが見え始め、「近代の大きな物語」(リクール)を体現していた中間集団は弱体化し、社会全体に「個人化」の原理が浸透するようになる。個人の人生を包摂していた中間集団の弱体化は、個人が「社会」という非人称的な世界へと投げ出され、漂流することの始まりであった。その結果、社会のあらゆるレベルで「自己責任の原則」が徹底され、もはや個人の自由も平等も所与のものではなく、すべて自らの選択において獲得すべきものとなる。個人は「行為選択のリスク」(山口 2002)と向き合い、それを自らの責任において引き受けなければならない。進むも地獄、退くも地獄!「再帰性」とはまさに、このことを意味するのである。ところが、人間は、この再帰性の重圧に耐えるには本質的に脆弱な存在であり、登山者は今まさに、この「行為持続の脆弱性」(Jasper,J. 2006)を克服することを求められる時代に生きていることを自覚しなければならなくなっている。「自己責任の原則」とはまさに、このような時代と社会の文脈状況の中から生成してきた論理なのである。

さて、登山者にとって「自己責任の原則」は容易に受け入れ難いかもしれないが、今や日本社会は、確実に「近代の大きな物語」から「再帰的・自己反省的近代化」(Beck,U.1994)の段階に入っていることは認めなければならないだろう。このような時代にあっては、社会の構造は決して安定することなく、一旦「構成された構造」は、絶えざる実践と反省を通じて次なる「新たな構造」を生成する。社会学者Giddens,A.(1990)は、この再帰的・自己反省的サイクルを「脱埋め込み」と「再埋め込み」の過程として概念化した。柄本(2002)は、この概念を身体化の次元で再構成し、個人は、登山の科学者や専門家の<身体知>の「正しさ」を必ずしも「白紙委任」して受け入れるわけではなく、自分自身の感覚で身体的実践を通して「知識」を「知恵」として自らのものし、強かに「生きる力」を獲得していると示唆している。その意味で、今まさに登山者に要求されるのは、「自己言及能力」(self-reference)および「自己省察力」(self-reflexivity)であり、このような資質を体現した「自律した個人」としての生き方ではないだろうか。

Ⅴ.「山に登ること」から「山に入ること」へ―エッジワーク(edgework)の観点

我々の身の回りには、日常的に人々の欲望を喚起する文化装置が網の目のように張り巡らされている。2000年12月にBSデジタル・ハイビジョン放送が開始されてから、日本百名山はもとより、ヒマラヤの八千メートル峰から七大陸最高峰、さらにはヨーロッパ・アルプス、等々、世界の名峰の自然の美しさを目にしない日はない。ハイビジョン放送で見る世界の名峰の美しさに魅せられて、今や中高年世代は、日本百名山から目標を海外の山へと移すようになっている。ネットに掲載されている海外の登山ツアーの募集の数の多さを見るだけでも想像できる。

ところで、これまで人々は、もっぱら「山に登ること」や「頂上を極めること」しか興味を示さず、「山に入るとは一体どのようなことなのか」については、ほとんど認識の外に置いてきた。山は、遠くから見ると雄大で美しい姿形として目に映るが、一歩足を踏み入れると過酷な現実が待ち受けている。それゆえに、古くから私たちは「山には安易に入ってはならない」と諌められてきた。

しかし今日、このように過剰な意味を放出し続けているメディア環境の中で、かつて神仏が宿ると考えられた山と人間との間に存在した「侵してはならない境界線」は完璧なまでに「液状化」し、物理的にも意識的にも都市の快適な生活に慣れた人々の手で、山と都市は完全に地続きになってしまっている。その結果、もはや登山者の意識の中に「恐怖」という防衛装置、すなわち「登山とは自らリスクを冒す行動である」との自己認識はすっかり働かなくなっている。このことが仮に遭難者が記録的に増え続けている原因の一つであるならば、そのとき我々は、登山に対する視線を「山に登ること」から「山に入ること」へと、根本的に転換する必要がある。もはや「山に登る」「頂上を極める」「山を征服する」といった「人間中心主義的・科学主義的思想」ではなく、「山に入る」「山に寄り添う」「山に抱かれている」といった「生態学的・臨床哲学的視線」へと、その眼差しを転換すべきときに差しかかっているのではないだろうか。

この眼差しを転換するヒントを与えてくれたのが、2010年夏に封切られた映画『剱岳 <点の記>』(新田次郎原作)における測量官、柴崎芳太郎の台詞である。柴崎は、立山の奥深くに立ち入って「はじめて自然の美しさは自然の厳しさの中にあることに気づいた」と、現象学的視線で「山への畏れ」を語っている。これはまさに、山に入り、「いま、ここ」に存在しているという絶対的な根拠の中からしか導き出されない自然への眼差しであり、また、立山の壮大な景色を見た瞬間、一切の論理も根拠も挿まず、まさに「純粋経験」(西田幾多郎 1979)から出た「山への畏れ」の言葉である。

山には多くの「危険」(hazard)が存在し、そこは決して安全な場所ではなく、絶対的に「危険な場所」である。この危険は所与のものとして、何びとといえども受け入れる以外にない。たとえ低山であっても、人は山に入った瞬間から、この「絶対的なもの」を受け入れ、「浮石」に足を取られたり、落石に遭遇したり、さらには霧で道に迷ったりする「リスク」を負わねばならない。

人は、山に登るから遭難するのではなく、山に入るから遭難する。この自明の事実を社会学的観点から概念化したのが、Lyng,S.(1990:2005)である。彼は「山に入ること」を「自らリスクを冒す行動」(voluntary risk taking)として捉え、そこから「登山」という行為を「エッジワーク」(edgework)として概念構成した。それを構造化したのが、図1の「エッジワークの主観的・客観的構造モデル」(根上 2009)である。この構造図が最も特徴的なのは、日常生活世界とその外部―<生>と<死>の境界―の間に、一定の不可逆的な時間の流れに合わせて、止まることなく変異していく空間としての「境界領域」(on- the- edge )を設けていることだ。

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一般に分子生物学の世界では「エッジ」(edge)とは「界面」を意味するが、社会学的・心理学的には<生>と<死>を分ける「切れ目」や「裂け目」を指している。この<生>と<死>の境界領域に「心の不安定」を表わす「ギザギザ模様」の世界を措定することによって「人はなぜ自らリスクを冒すのか」という「人間の不思議さ」への問いが立ち現われてくる。その際、社会学者が最も注目するのが、「自らリスクを冒す人間」が最も価値を置く、技術を超越した極限的な情況の中での「確かな状況認識」と「理に適った実践」、そして「パワフルな感覚」(「生き延びる力」「生き抜く力」)である。

この<生>と<死>の境界領域では、けが、恐怖、不安、苦しみ、辛さ、等々の日常世界では意味をもたないもの、近代教育学が理論の外部へと排除し周縁化してきたもの、すなわち「受苦の経験」が意味をもっている。また、安定した強固な構造をもつ日常生活世界とは異なり、係留点のない、構造のない世界、すなわち「非構造の世界」である。それまでに培ってきた「知識」と「知恵」を「力」にして生き延びるしかない「過酷な世界」である。このような世界の中に入るためには、人は、日常生活世界に安定した構造を係留点として築き、元に帰るべき場所を確立しなければならない。その上で、人は、極限の状況の中に身を置き、<死>の不安や恐怖と向き合い、それを克服することを通じて「ありのままの自分」に気づき、そこに「望ましい自分」「真の自己」を発見する。まさに人は、自分自身と「象徴的対話」を行うことによって再帰的・自己反省的に自己成長を成し遂げるのである。

一般に「エッジ」は、限界、逆境、困難、崖っぷち、瀬戸際、土壇場、剣が峰、等々、文脈状況に合わせて多様な使い方がなされている。なかでも、登山との関連で最も慣用的に使われているのが、“negotiating the edge ”であり、また“negotiating on the edge ”である。前者は、困難や逆境を克服する、限界を乗り越える、瀬戸際を切り抜ける、等々を含意し、後者は、崖っぷちや瀬戸際に立って自然や他者、自分自身と交渉ないし対話することを表わしている。また、それらと関連して使われる“taking a chance ”は、危険を冒すこと、いちかばちか賭けてみること、チャンスをものにすることを、さらに “survive the challenge ”は、逆境を切り抜けることを意味する。これらは今、社会全体で「過剰な自我」(「楽しさ」)と「過剰な包摂」(「やさしさ」)が原因で「行為主体」の<力>が衰退しているときに、エッジワークとしての登山のもつ社会的意義を鮮明にしている点で興味深い。

Ⅵ.おわりに

今日、日本社会は「絶対安全」(「ゼロ・リスク」)への社会意識を強め、社会と文化のあらゆる面でリスクに過敏になっている。しかしながら、我々の身近な環境から「危険」を完全に排除してしまったならば、そのとき人間は、自己成長への契機を喪失するばかりか、心身の働きまで退化させてしまうのではないだろうか。

イタリア語でリスクとは「勇気を以って試みること」を意味するように、我々は、山が「危険な場所」であることを認識し、その上で、山に入った瞬間からリスク(予測できない未来)と向き合い、「いま、ここ」で「自らリスクを冒しているのだ」という自覚をもち、そして自らリスクを冒すことを通じて自己成長を図る「リスク文化」としての登山の社会的意義を再認識するときに差しかかっている。その意味で、「人は経験によって学ぶ」ということを訓えている次の言葉には、まさに傾聴に値するものがある。

「受苦せしものは学びたり」(ギリシアの諺)

「労なくして得るものなし」(フットボールの諺)

「価値の重さは犠牲の大きさに比例する」(Simmel,G.1981)

「登山は、決して安全なものでも、予測可能なものでもない。いわんやルールのある冒険でもない。それは「リスクを冒すこと」を理想とする活動なのだ。登山においてもっとも称賛さるべき人物こそ、自ら身体を最大限にまで危険に晒しつつ、その危機を乗り切ることができる者なのだ」( Krakauer,J. 1998)

引用文献

  1. Simon,J: Taking risks: Extreme sports and the embrace of risk in advanced liberal societies. In Embracing risk: The changing culture of insurance and responsibility. Edited by Baker,T. & Simon,J. The University of Chicago Press, 2002: 177-208.
  2. Krakauer,J: Into thin air. 1997: 287.(海津正彦訳):空へ―エベレストの悲劇はなぜ起きたのか.文芸春秋,1997:370.
  3. Weathers,B & Michaud,S: Left for dead. 2000.(山本光伸訳):死者として残されて―エヴェレスト零下51度からの生還.光文社,2001.
  4. 羽根田治:ドキュメント気象遭難.山と渓谷社,2003.
  5. 羽根田治:ドキュメント道迷い遭難.山と渓谷社,2006.
  6. 羽根田治:ドキュメント単独行遭難.山と渓谷社,2012.
  7. トムラウシ山遭難事故調査特別委員会:トムラウシ山遭難事故調査報告書.3.
  8. 山口節郎:現代社会のゆらぎとリスク.新曜社,2002:149-266.
  9. Jasper,J: Getting your way: Strategic dilemmas in the world. The University of Chicago Press,2006:(鈴木眞理子訳)ジレンマを切り抜ける.新曜社,2009:23-52.
  10. Beck,U, Giddens,A. & Lash,S: Reflexive Modernization.: Politics, tradition and aesthetics in the modern social order. Polity Press, 1994: 1-55.
  11. Giddens,A: The consequences of modernity. Polity Press, 1990: 21-29.
  12. 柄本美代子:身体知へ回帰する専門家システム.社会学評論51(4・67):430-445.
  13. 西田幾多郎:善の研究.岩波文庫,
  14. Lyng,S: Edgework: A social psychological analysis of voluntary risk taking. American Journal of Sociology 95: 851-886.1990.
  15. Lyng,S: Edgework and risk-taking experience. In Edgework: The sociology of risk-taking. Edited by Lyng,S. Routledge, 2005: 3-16.
  16. Lyng,S: Sociology at the edge: Social thory and voluntary risk-taking. In Edgework: The sociology of risk-taking. Edited by Lyng,S. Routledge, 2005: 17-50.
  17. 根上 優:エッジワークの社会学―人はなぜリスクを冒すのか:(高桑和巳編)生き延びること 生命の教養学Ⅴ,慶応義塾大学出版会,2009:195-231.
  18. Simmel,G: Philosophie des geldes. 1900.(元浜清海・居安正・向井守訳):ジンメル著作集2 貨幣の哲学―分析編.白水社,1981 :57-99.

【追記】

本稿は、2012年6月16日に福岡市において開催された、第32回日本登山医学会学術集会に招待されて行った「教育講演」を学術論文としてまとめたものであり、当該団体の機関誌「登山医学」Japanese Journal of Mountain Medicine Vol.32 : 15-23,2012に掲載されている。

自己紹介

私は今日まで40年余り、主に体育・スポーツ科学とスポーツ社会学の分野で研究活動を行ってまいりました。しかし、その研究の関心が「暴力や怪我、痛み」といった周縁的事象に一貫して向けられてきたため、自ずと調査研究の範囲と視野は、研究者コミュニティや学術文献の収集等も含めて、既存の学問分野の外部へと拡大し、常に学際的なものとなってきました。

ここには、スポーツにおける暴力と怪我、痛みのもつ「特異性」をめぐる学問的認識の起点の相違が関わっています。すなわち、スポーツにおける暴力と怪我、痛みを「所与の事象」として、「当事者の立場」から「ノーマルなもの」「スタンダードなもの」として捉え、その意味を社会・文化的パースペクティブにおいて理解することが一方にあります。このような研究のスタンスは、西欧・北米諸国の研究者コミュニティでは一般的なことです。それに対して我が国では、その研究の出発点において「暴力根絶」といったイデオロギー的枠組みの中で「暴力事象」の矮小化を企図したり、あるいはまた医・科学的知見を通してのみ怪我や痛みのリスク軽減を企図する研究を中心化するなどして、怪我や痛みのもつ社会・文化的な意味を探るような研究が輩出してこなかった現実があります。当然のことながら、私のスタンスは前者にあります。

私は、学部時代には武道学科に身を置き、今日まで剣道の実践者・指導者として大学の剣道部の指導に従事する基礎を培いました。卒業後、日体大で剣道の稽古と研究の傍ら、3年間の研究生時代を含めて東京教育大の大学院で6年間、1970年代からの一時期、歴史学と社会学における新たな潮流を築いていた「社会史」の研究動向に関心を寄せました。その後、東北大学教養部、東北大学医療技術短期大学部、鳴門教育大学学校教育学部そして宮崎大学教育学部で教育者として、また研究者としてキャリアを積みながら、スポーツや武道における暴力と怪我、痛み、リスクに関する社会学的研究を行ってきました。そして現在は、それらの研究の成果を「エッジワーク edgework」という視点と方法から捉え直し、これまで「リスクの回避や軽減」を主たる目的としてきた我が国のリスク学の研究では、ほとんど顧みられることのなかった「自らリスクを冒す行動 voluntary risk taking」のポジティブな意味を掘り起こし、それを「リスクの人間学的研究」として位置づける作業に取り掛かっています。社会史は伝統的歴史学の傍流・周縁に置かれていましたが、いま改めて振り返ってみても、「周縁から中心を穿つ」という私の研究スタイルに及ぼしたその影響の大きさを実感しています。

以下に、私の今日までの研究主題を「スポーツにおける暴力」と「スポーツにおける怪我・痛み・リスク」、そして「戦後民主主義と武道」の3つに大きくまとめ、今日まで引き継がれている主要な論点を簡単に要約しておきます。

1.スポーツにおける暴力

1983年、北米カナダの社会学者マイケル・スミスの著した著書『暴力とスポーツ』において示された「暴力はゲームの一部か」という問いは、この問題の研究に携わっているすべての研究者にとって「永遠のアポリア」(難題)として生き続けています。本書は、「選手 participant」と「観客 audience」の両方を含む、スポーツで発生する暴力の社会学的研究の全体像を体系的に著した道標となるものです。とりわけ、前者の選手のゲーム中の暴力を「スポーツ・バイオレンスsports violence」として司法の対象となる「暴力一般」から差別化し、その特異性を記述することを通して「固有の文化領域」として研究する道を拓いたことは、スポーツと文化、社会との関係性を明らかにするうえで重要な意味をもっています。

しかし近年、イギリスの社会学者ケビン・ヤングが「スポーツ犯罪sports crimes」という新たな概念を提示しているように、かつて司法の領域の外部にあって訴追を免れていたスポーツ・バイオレンスは、1990年代から暴力一般との距離を確実に縮めるようになっています。こうした研究動向を知ることは、とかくスポーツにおける暴力を「暴力根絶」といったイデオロギー的言説で矮小化し、それ以上の意味を問わせない傾向のある我が国の学会や教育界、マスメディアに対して重要な異議申し立てに繋がります。

スポーツにおける暴力の範囲は、例えば、ゲーム中の暴力的プレイは勿論のこと、部活動における上級生の下級生に対する暴力や、指導者の練習中の「ハラスメント行為」、さらにはスポーツマン・アスリートが社会において引き起こす暴力行為などに至るまで、時代の変化とともに研究の外延は限りなく拡大し、複雑化しています。それゆえ、近年の研究動向の一つとして、国際的には、スポーツにおける暴力を「ゲーム中の暴力」(=「スポーツ・バイオレンス」)に限定し、ゲームの<場>から離れたところで発生する暴力を「スポーツに関連する暴力 sport-related-violence」(Smith,M. 1983)へと分類し、その重点化の流れを「スポーツ・バイオレンスからスポーツに関連する暴力へ」(Young,K. 2008)と捉え、議論する傾向が強くなっています。ケビン・ヤングの提唱した「スポーツ犯罪」という概念は、そうした近年の新たな動向を反映したものです。その意味では、「暴力はゲームの一部か」「暴力はスポーツの一部か」を社会文化的・倫理的パースペクティブから問い直すことは、「スポーツとは何か」を問う上で、きわめて現代的意義をもっています。

2.スポーツにおける怪我・痛み・リスク

2004年2月、オスロにおいて「スポーツにおける痛みと怪我」と題してワークショップが開催されました。その成果は、2006年に『スポーツにおける痛みと怪我〜社会・倫理的分析〜』として刊行されましたが、その寄稿者の殆どが「スポーツ・バイオレンス」の研究者でもありました。その序文の冒頭で「アスリートにとって痛みと怪我はスタンダードなものである」と宣言し、それまで全体として生理学の立場から理解されてきた「痛みや怪我、肉体的な苦痛に耐えること」のオーソドックスな医・科学モデルに異議申し立てを行い、アスリートの痛みと怪我の経験に及ぼす社会・文化的影響を考察し、痛みと「怪我を押してプレイすること」が「文化の一部」となっている現実に社会・倫理的パースペクティブから問いを投げかけることの重要性を指摘しました。この宣言は、それまでスポーツにおける痛みと怪我の研究は医・科学の独占物となってきたが、結果として医・科学的研究は、痛みと怪我が社会・文化的事象であることを無視してきたことも露わにしました。

このような研究傾向は、我が国の体育・スポーツ科学にも窺えます。今から8年前、中学校における武道の必修化が現実のものとなった際、柔道の脳震盪の危険性が声高に叫ばれ、柔道の部活動中の脳震盪の発生頻度の高さを根拠に「必修化の阻止」をも主張する批判的言説の台頭すら見られました。部活動中の怪我や痛みを論拠に体育授業における「柔道の危険性」を主張する論理的・現実的破綻は勿論のこと、当事者であるアスリートの「怪我を押してプレイすること」の社会・文化的文脈に目を向けない「医・科学的モデル」の限界を見たように思いました。

ところで、柔道に限らず、その他のスポーツの部活動の臨床的<場>に身を置いてアスリートの怪我と彼らの行動を観察してみると、中学3年生と高校3年生において圧倒的に重度の怪我が多いことが判ります。すなわち、そこには、試合や練習以前に既に「怪我や痛みを抱えている選手」が「これが最後の大会だから」と言って、医師の診断と忠告を振り切って出場している現実があります。このことは明らかに「医・科学的モデル」の限界と社会・文化的パースペクティブの必要性、そして今まさに私たちに求められている最も重要な研究課題であることをも示しています。

今日、私たちは、1990年代から始まる「リスク社会」の現実を生きています。「安全・安心」は、私たちにとって日常生活の最も大事な価値である、その一方で「自らリスクを冒す」という逆説的・人間的な側面をますます露わにするようになっています。このような人間的側面をスティーブン・リングの提唱した「エッジワーク edgework」という概念を通して明らかにするのが、現在の私の最も大きな課題です。「自らリスクを冒す行動」は、私たちのスポーツ行動に通底して観察されますが、「再帰的近代」と言われる現代社会においては、登山やバックカントリースキー、さらにはエクストリーム・スポーツ等々に典型的に見られるように、それ自体、固有のスポーツ文化として、また新たな人間の生き方として立ち現れるようになっています。本ブログの第一報では、現代山岳文化を題材に、このような文化の台頭の背後にある社会の変化と人間模様に迫っていきたいと考えています。

3.戦後民主主義と武道

1991年、戦後40年余りの「空白期」を経て、学校体育で柔・剣道等の教材を「格技から武道へ」と名称変更する学習指導要領の改変がなされました。その歴史的背景には、戦後の教育改革の中で「武道」という言葉には「軍国主義」「国家主義」「民族主義」を助長する意味が含まれているという理由で、まさに法的に禁止されたという過去がありました。「武道」の復権を契機に、講義を通じて中学・高等学校の体育教員を目指す学生達に向けて、その不幸な歴史の背景に「戦後民主主義のイデオロギー批判」の運動が存在したことを本格的に伝え始めましたが、それに関する興味関心を示す学生は殆どいませんでした。

私が学部と大学院で過した1970年代は、この戦後民主主義のイデオロギー批判が吹き荒れていた時代であり、剣道を嗜んでいるというだけで、まさに「居心地の悪さ」を日常的に感じておりました。この居心地の悪さは、体育・スポーツの研究世界に身を置くすべての武道の研究者が等しく抱いていた感情でした。こうした人々にとって、1968年に学術団体として設立された「日本武道学会」はまさに救世主となるものでした。その結果、日本体育学会では居場所のなかった武道の研究者の殆どが自らの活動の拠点を日本武道学会へと移してしまうことになり、スポーツ化の進んだ柔道を除いては、今日まで体育・スポーツ科学へと再び戻ることはありませんでした。

このことは、今日まで体育・スポーツ科学の世界に武道の学問的<知>の集積が十分になされてこなかったという事態を招きました。この不幸な現実は、武道の必修化を契機に「武道を以て何を教えていけばよいのか分からない」といった悲痛な叫び声が大学の研究者や中学校の教員から上がってきたことで白日のものとなりました。武道を通して「伝統」や「固有の文化」を伝承することの意義を謳う学習指導要領を現前にして、私たち武道の研究者・指導者は、いかにして教育の現場から寄せられる期待に応えていくか、が問われ続けています。

概略、以上のことを理解していただいたうえで、これまで私の執筆してきた著書論文の紹介や公開・未公開の講演等の原稿、スポーツにおける暴力や怪我、痛みに関して現在進めている研究の内容、さらには授業研究等も含む現代の武道やスポーツに関するエッセイ、海外の学術文献の紹介、等々について本ブログで寄稿していきたいと考えております。先ずは、この10年ほどの間に招請されて行った学会等における講演内容を起こすことから始めたいと思います。