スポーツにおける暴力の研究と若干の方法論的問題提起 ~急がば回れ~

本稿は、2014年9月14日、第63回九州体育・スポーツ学会のシンポジウム(第一専門分科会主催)において「体育とスポーツにおける暴力の研究方法論への若干の問題提起〜急がば回れ〜」と題して行った講演の概要である。

本シンポジウムは、「ブラック部活の新時代」や「桜宮ショック」(「教育は変わるのかー部活動問題・給特法・大学入学共通テスト」現代思想2019vol.47-7)として、今なお教育およびスポーツの研究者・関係者の間で語り継がれている桜宮高校バスケットボール部の暴力事件を受けて企画されたものである。表向きは「シンポジウム」として開催されているが、筆者の「単独講演」である。その理由は、筆者が1980年代から30数年間に渡って「スポーツにおける暴力」を研究の主題にしてきたことにシンポジウムのコーディネーターが気づいてくれたことにある。

演題は「体育とスポーツにおける暴力」として設定しているが、当該シンポジウムで取り上げる「暴力的事象」、なかでも「運動部活動における暴力」は、「体育」や「スポーツ」の枠組みで一括して論ずることができないほど複雑な内容を含んでいる。むしろ現実は、しばしば「教育活動の一環」として語られるように、教育システムとスポーツシステムの「境界領域」で問題は発生しているのである。このことを認識しないまま、「研究者コミュニティ」である体育およびスポーツの学会では、学校教育法11条で明示的に規定されている「体罰」と、そうした法的根拠を持たない「暴力」を「体罰・暴力」として並列させて論じていることは、言語の「文脈依存性」という観点から顧みたとき、学問的に無視し得ない問題と矛盾を孕んでいる。

確かに<死>という厳粛な事実を前にして、体育およびスポーツにおいて発生する暴力問題の研究に携わることを社会から負託されている学会として、早急に問題の解決を図らねばならない苦しい事態へと追いつめられていたことは理解できる。だからといって、そのことが学問的に遊離した地点から論ずるに至っては、長い目で見たとき、体育科学やスポーツ科学の<知>の蓄積と社会的貢献に限界を生じさせることは明らかである。「いつ、いかなることがあっても暴力は許されない」と主張することは容易いが、メディアの「アジェンダ」(議題設定)を無前提に受け入れ、それ自体、法的にも規範的にも、さらには社会文化的にも異なる文脈状況の中で語られるべき問題である「体罰」や「暴力」を「体罰・暴力」のそれとして一括して論ずることはむしろ、徒に混乱を招くだけである。この筆者と学会との間にある「認識の乖離」とどのように向き合うべきか。ここに、長年「スポーツにおける暴力」の研究に社会学的な関心を寄せてきた筆者の苦悩がある。

本講演の副題であえて「急がば回れ」と謳ったのは、この問題への学問的蓄積が十分でなく責任を負えないにも関わらず、一連の「緊急声明」を通して学術団体としての価値判断を鮮明にし、問題の解決を急いできた体育およびスポーツの関連学会の姿勢に対して疑問を投げかけることを企図してのことである。今まさに我々研究者に求められているのは、徒に問題の解決を急ぐことではなく、むしろ当該問題の孕む「複雑さ」や「矛盾」、「逆説性」を「抑制的な態度」すなわち「忍耐力」を持って受け入れることである。その意味では近年、精神科医の間で注目されている「ネガティブ・ケイパビリティ negative capability」(帚木蓬生「ネガティブ・ケパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」朝日新聞出版、2017)という概念は、今後、この問題に関する学問的な<知>の蓄積を図っていく上で重要な指針となるものである。

<概要>
2013年1月に発覚した「高校バスケットボール部の顧問教師による所謂「体罰」が原因で生徒が自殺した」と言われる事件をきっかけに、女子柔道ナショナルチームの指導者による「暴力」や大学柔道部の上級生の「暴力」等々、「スポーツにおける暴力」が大きくメディアで取り上げられ、社会全体の関心を集めることになった。この高校運動部の事件は、「生徒の自殺」という衝撃の大きさもさることながら、私たち体育およびスポーツ科学の研究教育に従事する専門家集団のメディアリテラシーを主に、その問題への学術団体としての「社会的反作用」という点で、多くの学問的に反省すべき課題を残した。本講演では、それらの課題の中から再考すべき論点を三点に絞り、主に社会学的観点から論究したい。

その第一が、「体罰」と「暴力」の定義-「類概念」と「種概念」、「過程中心主義」と「結果中心主義」-に始まって、所謂「体罰・暴力」問題への学問的アプローチの前提となる認識論的・方法論的課題であり、第二は、スポーツにおける暴力の発生メカニズムを現象学的・臨床的視座から導き出した「加害者-被害者-目撃者」の「関係性」-「三角関係」(ジラール『欲望の現象学』)および「トライローグ構造」(山崎正和『演技する精神』)-として捉え、「加害者-被害者」の「二項対立関係」として捉える既存のアプローチの道徳性とその限界-「不作為の暴力への認識の欠如」「当事者意識の欠落」「悪しき科学主義の論理」等々-を浮き彫りにすることである。そして最後に、今日、現代への時代認識として主に科学社会学の分野で注目を浴びている「トランス・サイエンスの時代」(小林傳司)における体育とスポーツの科学・科学技術の果たすべき社会的役割と、「どうしたら体育やスポーツ、運動部活動から暴力をなくすることができるか」という「トランス・サイエンスの問題」-科学者や指導者、教育者らの専門家集団の守備範囲を超えた問題群-に対する我々の身の処し方について提案したい。すなわち、それは単なる意見を戦わせる「議論」ではない。体育とスポーツの研究者、(体育を含む)教育の専門家集団、スポーツ指導の専門家集団、学生・生徒およびアスリート、体育とスポーツの活動の外部にいる素人集団、等々が「相互の立場と意見の相違」を認め、尊重し、そして「共感」することを通して「共通の目的」(「概念構築」)に向かって「合意形成」(「間主観性」)を図っていく「実験的試み」である。このような地道な試みを通して将来、我々がなすべきことは、体育とスポーツの合理性を高める「制度構築」への提言である。

「スポーツにおける暴力」は日本社会だけの問題ではない。本講演では、これまで学問的見地から体系的・理論的に捉えるよりは、むしろ「常識」-「いつ、いかなる理由があろうとも暴力は許されない」という「体罰・暴力根絶」言説-の範囲に止まることの多かった「スポーツにおける暴力」について論ずるためには、その前提として、1970年代から今日まで、この問題の研究に関して分野を超えた幅広い<知>の蓄積のある欧米の学説に学び、その歴史的展開を詳述する必要がある。なぜなら、2013年に発覚した事件以降、日本体育学会は「緊急声明」に続いて「体罰・暴力根絶特別委員会」を組織し、各専門領域に「体罰・暴力根絶のための検討課題」を提示して、各代表者に論文形式で提言をまとめさせることになるが、この問題に関する部厚い研究成果を残してきた欧米の著書・学術論文を引用・参照した研究者は、ほとんど皆無に近かったからである。もちろん、当該「事件」が発生した「運動部活動」は、欧米に類を見ない我が国独特の制度であり、このことがわが国の研究動向に反映していることは間違いない。しかしながら、このようなことを加味しても、「スポーツにおける暴力」を幅広く、そして多角的にアプローチしてきた海外の研究動向への目配りを欠くことは、将来、研究の「底が浅い」とか「底が抜けている」とかいう批判を招きかねない。

因みに、本シンポジウムでは、こうした厚みのある海外の研究動向と、先進国のスポーツにおいて子どもたちへの暴力が深刻な問題となってきたことを認識していただくために、筆者の講演と併行して、フロアの皆様方に、ユニセフの出版した冊子「スポーツにおいて子どもたちを暴力から守るために」(UNICEF Innocent Research Centre,’Protecting Children From Violence IN Sport: A Review With A Focus On Industrialized Countries’ July 2010)を回覧していただいた。

「スポーツにおける暴力」は、時代と社会、文化の変容はもちろんのこと、スポーツの展開する「場所」の「危険性」(「リスク」)と「文脈依存性」(「プロセス」)の中で様々な<相>として立ち現われてくる。その意味では、きわめて多面的・多義的・逆説的な現象である。一例として、このことを「ジェンダー化された暴力 gendered violence」という視点から際立たせてきたのが「ジェンダー研究」であるが、今回の検討では充分に生かされていたとは言い難い。

所謂「体罰・暴力根絶」宣言に見られるように、一面的・一義的・首尾一貫した認識に至ることなど到底できない。ここでは時間的制約もあり、「スポーツにおける暴力」を主として、必要に応じて「体育における暴力」と関連させて論じることにする。その上で、体育やスポーツにおける暴力が人間と文化、社会を理解する上で、いかに「豊かな鉱脈」をもっているか、またその一方で「暴力」という「アンビヴァレントな存在」と向き合ったとき、いかに研究者らは自ら「矛盾」を抱え、その「当事者」として「ジレンマ」に悩み苦しんできたのかを、欧米の「スポーツ・バイオレンス Sports Violence」と「スポーツに関連する暴力 sports-related-violence」の研究史を通して伝えていきたい。

1970年代に大西洋を挟んだ国々で、プロ・スポーツ界に司法が介入したことをきっかけに「暴力はゲームの一部か?」(Horrow, R. 1976)が問われるようになってから40年余り、それは、今なお「暴力は依然としてゲームの一部である」(Atkinson, M. 2010)、「フィールド上とフィールド外の暴力-問題はスポーツ文化なのか社会なのか?」(Gatz, M, Messner, M, & Ball-Rokeach, S, 2002)、「スポーツ・バイオレンスからスポーツ犯罪へ」(Young, K, 2002)、等々として問われ続けている。それはまさに「永遠のアポリア」である。

社会全体から我々体育およびスポーツ科学の専門家集団に「体罰・暴力根絶」への処方箋を早急に出すことを求められているこの時期に、あえて副題で「急がば回れ」と謳った背景には、これまでの私自身の学問的研究の浅薄への自己反省と、ともすれば結論を急ぐあまり性急に流れることへの自戒の意味が込められている。この「選択」は、何らかの具体的処方箋を期待している方には甚だ物足りない内容であることは否めず、ここに至って「何を悠長なことを!」とお叱りを受けることを覚悟している。まさに「進むも地獄、退くも地獄!」の心境である。

現代登山事情を斬る

登山は、決して安全なものでも、予測可能なものでもない。いわんやルールのある冒険でもない。それは「リスクを冒すこと」を理想とする活動なのだ。登山においてもっとも称賛さるべき人物こそ、自ら身体を最大限にまで危険に晒しつつ、その危機を乗り切ることができる者なのだ( John Krakauer, Into Thin Air, 1998 )。

 

このたび、「現代登山事情を斬る」という演題で社会学の立場から登山について語ることになったが、ここでいう「現代」とは一体、いつ頃をもって始まるのだろうか。また「登山事情」とは一体、どのようなことを指すのだろうか。学問的パースペクティブによって若干の違いがあるだろうが、「現代」を1990年代後半頃からとみることには、大方の識者の賛同が得られるものと考えられる。そして、このように「現代」という時代を限定した背景には、90年代後半から現在まで、わが国の登山界に「中高年の登山」と「“山ガール”と称する若い女性たちの登山」が「新しい山の文化」として台頭し、近代アルピニズムの精神と根底から相容れない深刻な問題を引き起こしているとの判断があることも、おそらく認識を共有できるのではないだろうか。

現代の「山の文化」の特徴を要約するならば、それは「マス・メディアイベントとしての登山」であり、また「消費文化としての登山」であるということに尽きるだろう。特に、1995年にNHK教育テレビで放映された登山家・岩崎元郎氏の『中高年のための登山学』(NHK)が「団塊の世代」―厳密には昭和22~25年に誕生したベビーブーム世代を指すが、高度経済成長を担った世代として昭和15~30年生まれの人々まで拡張できる―に与えた影響は大きく、経済的に豊かな中高年のライフスタイルを「マーケット」にすべく注視していた(広い意味でマス・メディア産業の一種である)「ツアー旅行業者」らは、一斉に「中高年の登山」を「消費文化」として「商品化」した。その後もNHKは、女性で初めてエベレスト登頂に成功した田部井淳子氏らを前面に立て、『山で元気に 田部井淳子の登山入門(趣味悠々)』(2000)、『田部井淳子のあんしん!たのしい!山歩きお悩み解決BOOK(趣味悠々)』(2010)、『田部井淳子のはじめる!山ガール』(2010)、『あなたもこれから山ガール(チャレンジ!ホビー)』(2011)という新企画を次々と打ち出し、「山ガール」や「前向きでキラキラ 山に登る女性はかっこいい!」といった魅惑的な「キャッチコピー」で「若い女性」を山々に惹きつけてきた。こうして現在、中高年のツアー登山をきっかけに始まった「山ガール」の登山は、ネットを通じてツアー旅行業者と結びついただけでなく、登山用品を販売する「スポーツ産業」とも連携を深めながら、関連商品とファッションの写真で彩られた女性雑誌―『ランドネ』や『FALO』など―をも生み出している。まさに「マス・メディアイベントとしての登山」と「消費文化としての登山」は、メディアとツアー旅行業者とスポーツ産業が三位一体となって生み出した社会現象だったのである。

このような社会現象が孕む問題を把握するためには、「後期資本主義社会」すなわち「消費社会」の構造に関する理解が必要である。紙数の関係上、ここでは詳述できないが、消費社会においては「登山」は商品化され、登山に関する「行為主体」の「リテラシー」と「思考判断力」、そして「自己認識」は衰退する。90年代、このような「山の文化」の孕む構造的問題は社会の「前景」に立ち現われることはなく、どちらかと言えば「背景」に潜んでいた。それが一気に社会の「表」に顕われるきっかけとなったのが、2009年7月に北海道大雪山系トムラウシ山で起きた大量遭難事故である。この遭難「事故」は、「真夏に低体温症で8人もの死者が!」と、メディアを通じて大きな象徴効果を放ち、時間の経過とともに多くの「エピソード」を残しながら社会的「事件」として拡大していった。
その後、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の「調査報告書」(2010)や、トムラウシ山の遭難事故を考えるシンポジウムなどを通じて、事故の直接的原因は「ガイドの判断ミス」と結論づけられたが、消費社会においては、その責任の主体は明確ではなく、事故を教訓とするには、メディアも専門家集団も「注意喚起」を促すことしかできない。社会学的観点からみたとき、一般に「遭難」という出来事は多面的な現象であり、その原因を「低体温症」や「ガイドの判断ミス」へと一義的には還元できない多くの側面をもっている。その点では、「遭難」という事象は、理論的・多元的に解釈すべき、より複雑な社会・文化的構造と意味を内包しているものと捉え、今後、そうした構造と意味を記述的に引き出す方法論を探求することも必要となってこよう。

本講演では、「自らリスクを冒すこと」を含意する「エッジワーク」(edgework)の観点から、そのような性格をもつ「登山」という行為と「遭難」という事象の社会学的解釈の地平―「リスク社会」における「リスク文化」の意味と価値―を明らかにし、現代の登山事情を語る一つの切り口を提示したい。

 

【追記】

本稿は、2012年6月16日、福岡市で開催された第32回日本登山医学会学術集会に招待されて行った「教育講演」の概要である。

現代登山文化への社会学的アプローチContemporary Mountain-Climbing Culture – A Sociological Approach

ABSTRACT. In Japan, mountaineering has been a very popular sport among middle and old aged men and women since the latter half of 1990’s. As a result the number of accidents has dramatically increased year by year. Today it is not just a matter of safety, but also a social problem. On June 26th, 2009, eight middle and old aged climbers were killed by hypothermia on Mt. Tomuraushi in the Taisetsu Mountain Range in Hokkaido. The climb was organized by a travel agency. As such, the accident was a symbolic one in that it reflects the nature of contemporary mountain-climbing culture as a mass-media event. In 2010, The Accident Investigation Committee concluded that the accident was caused by an error of judgement about conditions on the mountain by mountain-guides. However, in this lecture, I propose that the nature of the accident originates in the socio-cultural structure rather than in the guides’ misjudgement and will try to approach the reasons for the accident from a sociological view-point. In particular, I will argue that mountain-climbing will never be a safe activity but a dangerous one, and that it will involve voluntary risk taking behavior.

Key words: mass-media event, mountain-climbing as a product, consumer society, risk-taking, risk culture, edgework, individualization, reflexive modernization

Ⅰ.はじめに

本稿では、1990年代後半から社会現象となってきた「中高年の登山」や「山ガール」と称する若い女性たちのファッショナブルな登山、さらには「ツアー登山」や「公募登山」といった登山形態を、従来の登山研究には収まりきらない新たな「登山文化」の出現として捉え、そうした文化の台頭の意味されるものを読み解くことを通して社会学の方法論的意義を問うことにする。

Ⅱ.新しい登山文化の台頭―メディア・イベントとしての登山

2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で発生した大量遭難事故は、「真夏でも凍死?」と、テレビや新聞等のニュース報道を通じて社会全体に大きな衝撃を与えた。このことは、3年あまり経った現在でも記憶に新しい。しかしながら、この遭難事故が日本の山岳史上に残るほどの歴史的大事件であったにもかかわらず、その後も登山人口は減るどころか、むしろ増加の一途を辿り、山々は人々で溢れかえっている。毎年7月に警察庁生活安全局地域課から出される山岳遭難の統計が示しているように、山岳遭難件数も遭難者も記録的に増大し、もはや「低体温症」という言葉は決して珍しいものではなく、「ありふれた日常の情景」として目にするようになっている。

ところで、トムラウシ山の遭難事故が社会に向けて放ったメッセージは、「真夏でも低体温症で死亡する」という天候の予測できない急激な悪化だけではなかった。それ以上に重要なこととして、この事故は、現代の山岳遭難が広く社会・文化的な構造に根差す特異な現象であることを暴露したことだ。トムラウシ山の遭難事故は、その発生直後からメディアを通じて様々なエピソードとして語られ、大きな社会問題へと構築されていった。

ここで、その社会問題の構築過程を顧みたとき、もっとも注目すべきことは、登山が戦後の高度経済成長を担った「経済的に豊かな世代」、すなわち、昭和15(1940)年から30(1955)年生まれの中高年世代のライフスタイルとして、90年代後半から広く社会に定着していたことだ。なかでも特徴的なことは、中高年の登山が主に、ライフコース―加齢とともに人々の辿る人生行路―の発達課題のほとんどを解決し、それまで支えてきた家庭の外に目を向け始めた「家庭の主婦」によって担われ、さらにまた、彼女たちの登山が旅行業者の企画する「ツアー登山」や「公募登山」という新たな登山の形態によって支えられていたことだ。その背景には、中高年を『日本百名山』(深田久弥)に誘うテレビや雑誌等の『特集』や、インターネットを通じて「商品としての登山」を販売するマーケットの拡大があった。

このようにメディアが媒介する文化の様態は、その後も決して変わることなく、今や中高年世代の登山だけでなく、「山ガール」や「山女」と称される都市の若い女性をターゲットにした新たな登山文化をも生み出している。もちろん、このような文化の様態は、登山だけに固有のものではなく、これまでもっぱら男性が独占していたフィッシングなどのスポーツにも見られ、「釣りガール」や「釣り女」といった言葉は、今や「ありふれた日常の情景」となっている。都市の書店の雑誌コーナーには、登山やフィッシングの用具を販売するスポーツ産業とも連携を深めながら、関連商品とファッションの写真で彩られた女性雑誌の広告が氾濫している。まさに現代の登山文化は、テレビ・雑誌等のメディアと旅行業者、そしてスポーツ産業が三位一体となって創出した社会現象なのである。その意味で、現代の登山文化の特徴を要約するならば、それは「メディア・イベントとしての登山」であり、また「消費文化としての登山」であるということに尽きるだろう。

このようなメディア・イベントないし消費文化としての登山は、わが国固有のものではなく、広く西欧社会にも見られる社会現象である。これは、リスク学の研究者であるSimon,J.(2002)が指摘しているように、先進自由主義社会に共通の特徴であり、1996年にエベレストで起きた国際公募隊の山岳史上最大の悲劇―登山家の難波康子さんが死亡した事故―をきっかけに、欧米でも90年代後半から登山文化に劇的な変容が生じていた。生還はしたが、その悲劇の当事者であるKrakauer,J.(1997)の『空へ エベレストの悲劇はなぜ起きたのか』(Into Thin Air)や、最後まで難波さんに寄り添いながら奇跡的に生還した Weathers,B.(2000)の『死者として残されて エベレスト零下51度からの生還』(Left For Dead)のように、自らの「死のリアリティ体験」を語る新たな登山文学のジャンルが登場し、それが世界的にベストセラーになることにより新たな登山文化の始まりを見たのである。一方、わが国でも、羽根田治の『ドキュメント気象遭難』(2003)や『ドキュメント道迷い遭難』(2006)、さらには『ドキュメント単独行遭難』(2012)等々の山岳遭難の原因を検証した一連のルポルタージュは、現代日本の登山文化の重要な部分を担うようになっている。

このように、現代の登山事情を理解するためには、単に「山に登る」という行為だけに止まらず、登山に関する文学やエッセー、評論等の社会に及ぼす影響の大きさをも鑑み、広く文化と社会の全体との関連で認識することが欠かせなくなっている。

Ⅲ.消費社会における登山の言説―物語性と親密感

さて、トムラウシ山の遭難事故は、その後に組織された調査特別委員会の「調査報告書」(2010)やトムラウシ山の遭難事故を考える各種のシンポジウムなどを通じて、事故は「ガイドの判断ミス」によって引き起こされたと結論づけられた。

しかしながら、一般に消費社会では、その責任の主体は必ずしも明確ではなく、事故の経験を教訓とするには限界がある。メディアも専門家集団も「皆さん、十分な準備をしてから山に登りましょう」「天候の急激な変化には十分に気を付けましょう」「気象情報には十分注意しましょう」と、通り一遍の注意を喚起することしかできない。それゆえに今、我々にとって必要なのは、「遭難」という出来事が単に、登山者の危機意識の欠如や天候の急激な悪化、さらにはガイドの判断といった単一の原因によって起きているというよりはむしろ、現代の消費社会に内在する構造的なリスク要因が複合的かつ重層的に重なり合って現象として発生しているとの認識に立ち、その背景に隠れている構造と意味を理論的に読み解くことではないだろうか。これは、社会学のもっとも得意とするところである。

このような社会学の見方を理解するには、「後期資本主義」ないしは「後期近代」―「第二の近代」とも呼ばれている―における消費社会と消費文化の論理に関する知識が必要である。紙数の関係上、ここでは詳細に述べることはできないが、たとえば、消費社会においては「登山」という行為は、メディアを通じて「身体性」ないし「身体化」(embodiment)を伴わない「記号情報」として「商品化」され、悉く「ショート・タイム」で消費されるのが特徴である。言い換えれば、「登山」という行為がメディアに媒介されることによって「メディア論理」(media logic)―「物語性」(narrativeness)―が貫かれ、「モノ」としての登山が「モノ以上のもの」になることを通して登山が「親密なもの」(intimacy)へと変容し、山に登ることによって得る価値の獲得に必要な時間の犠牲を伴わない身体的実践―「いつでも、どこでも、だれでも、安全で手軽に、そして快適に楽しめますよ」という言説―が称揚される。裏を返せば、まさに消費されているのは「登山」や「山」それ自体ではなく、それに付与された「記号」なのである。

今日、このような消費社会のメディア論理を具現化した登山情報は、テレビや新聞・雑誌の広告、旅行業者の発行するパンフレットだけでなく、ネット販売を主とするスポーツ産業―旅行業者や登山用品のレンタル・ネットショップ等も含む―の登山情報においても溢れかえり、登山の医科学・生理学的言説を悉く無化している。新聞や雑誌等のメディアは、登山医学会で発表された無色透明な医科学・生理学的知見を読者にとって親密なものとするために、「より“安全”で“楽しく”、“快適”な登山でメタボの解消」へと「物語化」する。と同時に、技術の習得の過程において決して避けることのできない痛みや苦しみを、もっぱら登山が親密なものとなるよう人々の意識から排除し、実際に山を登る経験を積み重ねることによってしか技法化しない運動技術を「疲れない歩き方」として記号化する。

まさに、このような親密感をもたらす記号情報は、インターネットを通じて社会の隅々にまで流され、近年、登山用品の「レンタル・ネットショップ」という新しい市場さえ創出する大きな力となっている。

急に富士山に登ることになったら、どうしますか・・・?
登山用品、すべて新品でそろえると、費用は6万円以上です。
すべての登山用品を1からそろえると、費用がとてもかかります。人生で1回しか登らないかもしれないのに、6万円以上かけるのは、もったいないですよ。急に登ることになって、いきなり6万円以上の費用がかかるとなると、大きな出費ですね。節約生活からはかけ離れてしまいますね。

このような「登山」言説は、経済的にも時間的にも余裕のない都市の若者層にとって実に魅力的ではあるが、「高価でも自分の用具は自分で揃え、山に登る前に十分なトレーニングと心の備えをしなければならない」ということを自明のごとく信じてきた登山家にとって、まさに衝撃的な言葉である。もちろん、そのような市場の拡大がすべてネガティブに作用するわけではなく、初めて山に登る人にとっては、登山に必要な装備や心構えを知るための貴重なネットワークになっていることは否定できない。

しかし、あらゆる機会を捉えて医科学・生理学者や登山の専門家が「登山のリスク」に警鐘を鳴らし、安全な登山とその技術の習得、さらには科学的なトレーニングの必要性を喚起しようとも、時間と身体的実践の犠牲を伴わない手軽で快適な登山の魅力は、あっという間に科学者や登山家の「専門家システム」(「専門的知識」)を突き抜け、その権威と正統性を無化してしまうことも事実である。そこでは、しばしば科学者や登山家の専門家システムは記憶の彼方に消え失せ、素人の登山者は、科学的・合理的知識に基づくよりは、むしろ登山経験のない身近な友人の「成功」言説―「昨日、富士山に登ってきたよ、あんなに綺麗なご来光を見たのは初めてだよ、感激したよ」―に感情的に反応し、山の怖さも自分自身の能力も顧みることなく行動に移してしまことさえある。

ここに、メディア・イベントとしての現代の登山文化の「落とし穴」がある。すなわち、登山に関する「行為主体」のリテラシーと思考判断力、そして自己認識の衰退がそれである。メディアを通じて獲得した「知識」が「知恵」として「生きる力」となるためには、山に入り、身を以って失敗と挫折の経験を積み重ねることを通して、「ロング・タイム」で登山の技術を身に付けることが欠かせない。にもかかわらず、このような身体化を経由しない身近な友人の「成功」言説に動機づけられた登山や、旅行業者の企画したガイド付き公募登山が、山でもっとも大切なものを、言い換えれば、正確な情況認識と判断、合理的な意思決定、そして仲間への信頼といった要素を全面的に他者に委ねてしまうことの危うさについては、これまで十分に議論が尽くされてきたとは言い難い。このことは、現代の登山文化のあり様に決定的な問題を提起する。

Ⅳ.登山への新たな視点:自己責任の原則と個人化の原理

ある意味では、これまで我々の信じて疑わなかった「生命尊重主義」と真っ向から対立する、登山における「自己責任の原則」の問題を世に問いかけたのが、山岳遭難をフィールドに現代の登山文化のあり様に警鐘を鳴らし続けてきたライターの羽根田治である。羽根田は、20年以上にわたる山岳遭難の取材経験から、この10年ほど前から安易に救助要請をする登山者が増え続けてきた実態と、そのような登山者が身体化していなければならない登山の規範やマナー、そして何よりも大切な登山の知識とスキルの欠如を深刻に受け止め、登山における「自己責任の原則」―「救助費用は登山者の責任だ」―という、現代社会の根幹に関わる問いを突き付けたのである(朝日新聞2010.8.12)。

本講演において「現代の登山事情を斬る」という演題を与えられた背景には、近年「危機意識のない登山者」が山々に溢れ、近代アルピニズムの精神を信条としている人々の間に、そうした登山者の振る舞いに言葉では言い尽くせない「違和感」があったと窺い知ることができる。この違和感を「自己責任」の問題として浮き彫りにしたのが、羽根田であった。とはいえ、この問題に関する議論は、これまでにもたびたび繰り返されてきたが、悉く「生命尊重主義」と「商業主義の論理」の大きな壁を前に撥ね返されてきた。したがって、ここでは「登山における自己責任の原則」の是非を問うことはせず、一つの議論の糸口として社会学の立場から問題の所在を明らかにすることに止める。

さて、議論の出発点として最も強調されるべきは、羽根田の提起した「自己責任の原則」が、彼自身の単なる思いつきなどでは決してなく、現代社会の構造変化の中から必然的に導き出されたものであるということだ。

アルピニストにとっては今や、ある種の懐かしさをもって語られることだが、彼らの間で「第一次登山ブーム」と呼ばれている1960年代、わが国の登山界には日本山岳会や勤労者山岳連盟などの社会人山岳会、高校や大学の山岳部やワンダーフォーゲル部、等々、多くの「中間集団」―国家と個人の間にあって個人の自由と自律を庇護する単位―が全国各地に存在し、山に憧れる多くの若者たちに、登山に必要な技術や生き方―役割、規範、掟、等々―を学ぶ機会を与えていた。と同時に、それらの中間集団は自ら「近代アルピニズムの精神」としての「パイオニア精神」を体現しつつ、「近代登山」という大きな物語の創造に参与し、多くのアルピニストの養成と彼らのアイデンティティの源となっていた。この営みはまさに、戦後日本社会の高度成長を推進した産業主義のイデオロギーと軌を一つにしていたのである。

しかしながら、60年代から続いてきた高度経済成長も限界に達し、「後期近代」あるいは「第二の近代」と呼ばれる時代が訪れた90年代以後、いよいよ産業主義のイデオロギーに陰りが見え始め、「近代の大きな物語」(リクール)を体現していた中間集団は弱体化し、社会全体に「個人化」の原理が浸透するようになる。個人の人生を包摂していた中間集団の弱体化は、個人が「社会」という非人称的な世界へと投げ出され、漂流することの始まりであった。その結果、社会のあらゆるレベルで「自己責任の原則」が徹底され、もはや個人の自由も平等も所与のものではなく、すべて自らの選択において獲得すべきものとなる。個人は「行為選択のリスク」(山口 2002)と向き合い、それを自らの責任において引き受けなければならない。進むも地獄、退くも地獄!「再帰性」とはまさに、このことを意味するのである。ところが、人間は、この再帰性の重圧に耐えるには本質的に脆弱な存在であり、登山者は今まさに、この「行為持続の脆弱性」(Jasper,J. 2006)を克服することを求められる時代に生きていることを自覚しなければならなくなっている。「自己責任の原則」とはまさに、このような時代と社会の文脈状況の中から生成してきた論理なのである。

さて、登山者にとって「自己責任の原則」は容易に受け入れ難いかもしれないが、今や日本社会は、確実に「近代の大きな物語」から「再帰的・自己反省的近代化」(Beck,U.1994)の段階に入っていることは認めなければならないだろう。このような時代にあっては、社会の構造は決して安定することなく、一旦「構成された構造」は、絶えざる実践と反省を通じて次なる「新たな構造」を生成する。社会学者Giddens,A.(1990)は、この再帰的・自己反省的サイクルを「脱埋め込み」と「再埋め込み」の過程として概念化した。柄本(2002)は、この概念を身体化の次元で再構成し、個人は、登山の科学者や専門家の<身体知>の「正しさ」を必ずしも「白紙委任」して受け入れるわけではなく、自分自身の感覚で身体的実践を通して「知識」を「知恵」として自らのものし、強かに「生きる力」を獲得していると示唆している。その意味で、今まさに登山者に要求されるのは、「自己言及能力」(self-reference)および「自己省察力」(self-reflexivity)であり、このような資質を体現した「自律した個人」としての生き方ではないだろうか。

Ⅴ.「山に登ること」から「山に入ること」へ―エッジワーク(edgework)の観点

我々の身の回りには、日常的に人々の欲望を喚起する文化装置が網の目のように張り巡らされている。2000年12月にBSデジタル・ハイビジョン放送が開始されてから、日本百名山はもとより、ヒマラヤの八千メートル峰から七大陸最高峰、さらにはヨーロッパ・アルプス、等々、世界の名峰の自然の美しさを目にしない日はない。ハイビジョン放送で見る世界の名峰の美しさに魅せられて、今や中高年世代は、日本百名山から目標を海外の山へと移すようになっている。ネットに掲載されている海外の登山ツアーの募集の数の多さを見るだけでも想像できる。

ところで、これまで人々は、もっぱら「山に登ること」や「頂上を極めること」しか興味を示さず、「山に入るとは一体どのようなことなのか」については、ほとんど認識の外に置いてきた。山は、遠くから見ると雄大で美しい姿形として目に映るが、一歩足を踏み入れると過酷な現実が待ち受けている。それゆえに、古くから私たちは「山には安易に入ってはならない」と諌められてきた。

しかし今日、このように過剰な意味を放出し続けているメディア環境の中で、かつて神仏が宿ると考えられた山と人間との間に存在した「侵してはならない境界線」は完璧なまでに「液状化」し、物理的にも意識的にも都市の快適な生活に慣れた人々の手で、山と都市は完全に地続きになってしまっている。その結果、もはや登山者の意識の中に「恐怖」という防衛装置、すなわち「登山とは自らリスクを冒す行動である」との自己認識はすっかり働かなくなっている。このことが仮に遭難者が記録的に増え続けている原因の一つであるならば、そのとき我々は、登山に対する視線を「山に登ること」から「山に入ること」へと、根本的に転換する必要がある。もはや「山に登る」「頂上を極める」「山を征服する」といった「人間中心主義的・科学主義的思想」ではなく、「山に入る」「山に寄り添う」「山に抱かれている」といった「生態学的・臨床哲学的視線」へと、その眼差しを転換すべきときに差しかかっているのではないだろうか。

この眼差しを転換するヒントを与えてくれたのが、2010年夏に封切られた映画『剱岳 <点の記>』(新田次郎原作)における測量官、柴崎芳太郎の台詞である。柴崎は、立山の奥深くに立ち入って「はじめて自然の美しさは自然の厳しさの中にあることに気づいた」と、現象学的視線で「山への畏れ」を語っている。これはまさに、山に入り、「いま、ここ」に存在しているという絶対的な根拠の中からしか導き出されない自然への眼差しであり、また、立山の壮大な景色を見た瞬間、一切の論理も根拠も挿まず、まさに「純粋経験」(西田幾多郎 1979)から出た「山への畏れ」の言葉である。

山には多くの「危険」(hazard)が存在し、そこは決して安全な場所ではなく、絶対的に「危険な場所」である。この危険は所与のものとして、何びとといえども受け入れる以外にない。たとえ低山であっても、人は山に入った瞬間から、この「絶対的なもの」を受け入れ、「浮石」に足を取られたり、落石に遭遇したり、さらには霧で道に迷ったりする「リスク」を負わねばならない。

人は、山に登るから遭難するのではなく、山に入るから遭難する。この自明の事実を社会学的観点から概念化したのが、Lyng,S.(1990:2005)である。彼は「山に入ること」を「自らリスクを冒す行動」(voluntary risk taking)として捉え、そこから「登山」という行為を「エッジワーク」(edgework)として概念構成した。それを構造化したのが、図1の「エッジワークの主観的・客観的構造モデル」(根上 2009)である。この構造図が最も特徴的なのは、日常生活世界とその外部―<生>と<死>の境界―の間に、一定の不可逆的な時間の流れに合わせて、止まることなく変異していく空間としての「境界領域」(on- the- edge )を設けていることだ。

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一般に分子生物学の世界では「エッジ」(edge)とは「界面」を意味するが、社会学的・心理学的には<生>と<死>を分ける「切れ目」や「裂け目」を指している。この<生>と<死>の境界領域に「心の不安定」を表わす「ギザギザ模様」の世界を措定することによって「人はなぜ自らリスクを冒すのか」という「人間の不思議さ」への問いが立ち現われてくる。その際、社会学者が最も注目するのが、「自らリスクを冒す人間」が最も価値を置く、技術を超越した極限的な情況の中での「確かな状況認識」と「理に適った実践」、そして「パワフルな感覚」(「生き延びる力」「生き抜く力」)である。

この<生>と<死>の境界領域では、けが、恐怖、不安、苦しみ、辛さ、等々の日常世界では意味をもたないもの、近代教育学が理論の外部へと排除し周縁化してきたもの、すなわち「受苦の経験」が意味をもっている。また、安定した強固な構造をもつ日常生活世界とは異なり、係留点のない、構造のない世界、すなわち「非構造の世界」である。それまでに培ってきた「知識」と「知恵」を「力」にして生き延びるしかない「過酷な世界」である。このような世界の中に入るためには、人は、日常生活世界に安定した構造を係留点として築き、元に帰るべき場所を確立しなければならない。その上で、人は、極限の状況の中に身を置き、<死>の不安や恐怖と向き合い、それを克服することを通じて「ありのままの自分」に気づき、そこに「望ましい自分」「真の自己」を発見する。まさに人は、自分自身と「象徴的対話」を行うことによって再帰的・自己反省的に自己成長を成し遂げるのである。

一般に「エッジ」は、限界、逆境、困難、崖っぷち、瀬戸際、土壇場、剣が峰、等々、文脈状況に合わせて多様な使い方がなされている。なかでも、登山との関連で最も慣用的に使われているのが、“negotiating the edge ”であり、また“negotiating on the edge ”である。前者は、困難や逆境を克服する、限界を乗り越える、瀬戸際を切り抜ける、等々を含意し、後者は、崖っぷちや瀬戸際に立って自然や他者、自分自身と交渉ないし対話することを表わしている。また、それらと関連して使われる“taking a chance ”は、危険を冒すこと、いちかばちか賭けてみること、チャンスをものにすることを、さらに “survive the challenge ”は、逆境を切り抜けることを意味する。これらは今、社会全体で「過剰な自我」(「楽しさ」)と「過剰な包摂」(「やさしさ」)が原因で「行為主体」の<力>が衰退しているときに、エッジワークとしての登山のもつ社会的意義を鮮明にしている点で興味深い。

Ⅵ.おわりに

今日、日本社会は「絶対安全」(「ゼロ・リスク」)への社会意識を強め、社会と文化のあらゆる面でリスクに過敏になっている。しかしながら、我々の身近な環境から「危険」を完全に排除してしまったならば、そのとき人間は、自己成長への契機を喪失するばかりか、心身の働きまで退化させてしまうのではないだろうか。

イタリア語でリスクとは「勇気を以って試みること」を意味するように、我々は、山が「危険な場所」であることを認識し、その上で、山に入った瞬間からリスク(予測できない未来)と向き合い、「いま、ここ」で「自らリスクを冒しているのだ」という自覚をもち、そして自らリスクを冒すことを通じて自己成長を図る「リスク文化」としての登山の社会的意義を再認識するときに差しかかっている。その意味で、「人は経験によって学ぶ」ということを訓えている次の言葉には、まさに傾聴に値するものがある。

「受苦せしものは学びたり」(ギリシアの諺)

「労なくして得るものなし」(フットボールの諺)

「価値の重さは犠牲の大きさに比例する」(Simmel,G.1981)

「登山は、決して安全なものでも、予測可能なものでもない。いわんやルールのある冒険でもない。それは「リスクを冒すこと」を理想とする活動なのだ。登山においてもっとも称賛さるべき人物こそ、自ら身体を最大限にまで危険に晒しつつ、その危機を乗り切ることができる者なのだ」( Krakauer,J. 1998)

引用文献

  1. Simon,J: Taking risks: Extreme sports and the embrace of risk in advanced liberal societies. In Embracing risk: The changing culture of insurance and responsibility. Edited by Baker,T. & Simon,J. The University of Chicago Press, 2002: 177-208.
  2. Krakauer,J: Into thin air. 1997: 287.(海津正彦訳):空へ―エベレストの悲劇はなぜ起きたのか.文芸春秋,1997:370.
  3. Weathers,B & Michaud,S: Left for dead. 2000.(山本光伸訳):死者として残されて―エヴェレスト零下51度からの生還.光文社,2001.
  4. 羽根田治:ドキュメント気象遭難.山と渓谷社,2003.
  5. 羽根田治:ドキュメント道迷い遭難.山と渓谷社,2006.
  6. 羽根田治:ドキュメント単独行遭難.山と渓谷社,2012.
  7. トムラウシ山遭難事故調査特別委員会:トムラウシ山遭難事故調査報告書.3.
  8. 山口節郎:現代社会のゆらぎとリスク.新曜社,2002:149-266.
  9. Jasper,J: Getting your way: Strategic dilemmas in the world. The University of Chicago Press,2006:(鈴木眞理子訳)ジレンマを切り抜ける.新曜社,2009:23-52.
  10. Beck,U, Giddens,A. & Lash,S: Reflexive Modernization.: Politics, tradition and aesthetics in the modern social order. Polity Press, 1994: 1-55.
  11. Giddens,A: The consequences of modernity. Polity Press, 1990: 21-29.
  12. 柄本美代子:身体知へ回帰する専門家システム.社会学評論51(4・67):430-445.
  13. 西田幾多郎:善の研究.岩波文庫,
  14. Lyng,S: Edgework: A social psychological analysis of voluntary risk taking. American Journal of Sociology 95: 851-886.1990.
  15. Lyng,S: Edgework and risk-taking experience. In Edgework: The sociology of risk-taking. Edited by Lyng,S. Routledge, 2005: 3-16.
  16. Lyng,S: Sociology at the edge: Social thory and voluntary risk-taking. In Edgework: The sociology of risk-taking. Edited by Lyng,S. Routledge, 2005: 17-50.
  17. 根上 優:エッジワークの社会学―人はなぜリスクを冒すのか:(高桑和巳編)生き延びること 生命の教養学Ⅴ,慶応義塾大学出版会,2009:195-231.
  18. Simmel,G: Philosophie des geldes. 1900.(元浜清海・居安正・向井守訳):ジンメル著作集2 貨幣の哲学―分析編.白水社,1981 :57-99.

【追記】

本稿は、2012年6月16日に福岡市において開催された、第32回日本登山医学会学術集会に招待されて行った「教育講演」を学術論文としてまとめたものであり、当該団体の機関誌「登山医学」Japanese Journal of Mountain Medicine Vol.32 : 15-23,2012に掲載されている。

自己紹介

私は今日まで40年余り、主に体育・スポーツ科学とスポーツ社会学の分野で研究活動を行ってまいりました。しかし、その研究の関心が「暴力や怪我、痛み」といった周縁的事象に一貫して向けられてきたため、自ずと調査研究の範囲と視野は、研究者コミュニティや学術文献の収集等も含めて、既存の学問分野の外部へと拡大し、常に学際的なものとなってきました。

ここには、スポーツにおける暴力と怪我、痛みのもつ「特異性」をめぐる学問的認識の起点の相違が関わっています。すなわち、スポーツにおける暴力と怪我、痛みを「所与の事象」として、「当事者の立場」から「ノーマルなもの」「スタンダードなもの」として捉え、その意味を社会・文化的パースペクティブにおいて理解することが一方にあります。このような研究のスタンスは、西欧・北米諸国の研究者コミュニティでは一般的なことです。それに対して我が国では、その研究の出発点において「暴力根絶」といったイデオロギー的枠組みの中で「暴力事象」の矮小化を企図したり、あるいはまた医・科学的知見を通してのみ怪我や痛みのリスク軽減を企図する研究を中心化するなどして、怪我や痛みのもつ社会・文化的な意味を探るような研究が輩出してこなかった現実があります。当然のことながら、私のスタンスは前者にあります。

私は、学部時代には武道学科に身を置き、今日まで剣道の実践者・指導者として大学の剣道部の指導に従事する基礎を培いました。卒業後、日体大で剣道の稽古と研究の傍ら、3年間の研究生時代を含めて東京教育大の大学院で6年間、1970年代からの一時期、歴史学と社会学における新たな潮流を築いていた「社会史」の研究動向に関心を寄せました。その後、東北大学教養部、東北大学医療技術短期大学部、鳴門教育大学学校教育学部そして宮崎大学教育学部で教育者として、また研究者としてキャリアを積みながら、スポーツや武道における暴力と怪我、痛み、リスクに関する社会学的研究を行ってきました。そして現在は、それらの研究の成果を「エッジワーク edgework」という視点と方法から捉え直し、これまで「リスクの回避や軽減」を主たる目的としてきた我が国のリスク学の研究では、ほとんど顧みられることのなかった「自らリスクを冒す行動 voluntary risk taking」のポジティブな意味を掘り起こし、それを「リスクの人間学的研究」として位置づける作業に取り掛かっています。社会史は伝統的歴史学の傍流・周縁に置かれていましたが、いま改めて振り返ってみても、「周縁から中心を穿つ」という私の研究スタイルに及ぼしたその影響の大きさを実感しています。

以下に、私の今日までの研究主題を「スポーツにおける暴力」と「スポーツにおける怪我・痛み・リスク」、そして「戦後民主主義と武道」の3つに大きくまとめ、今日まで引き継がれている主要な論点を簡単に要約しておきます。

1.スポーツにおける暴力

1983年、北米カナダの社会学者マイケル・スミスの著した著書『暴力とスポーツ』において示された「暴力はゲームの一部か」という問いは、この問題の研究に携わっているすべての研究者にとって「永遠のアポリア」(難題)として生き続けています。本書は、「選手 participant」と「観客 audience」の両方を含む、スポーツで発生する暴力の社会学的研究の全体像を体系的に著した道標となるものです。とりわけ、前者の選手のゲーム中の暴力を「スポーツ・バイオレンスsports violence」として司法の対象となる「暴力一般」から差別化し、その特異性を記述することを通して「固有の文化領域」として研究する道を拓いたことは、スポーツと文化、社会との関係性を明らかにするうえで重要な意味をもっています。

しかし近年、イギリスの社会学者ケビン・ヤングが「スポーツ犯罪sports crimes」という新たな概念を提示しているように、かつて司法の領域の外部にあって訴追を免れていたスポーツ・バイオレンスは、1990年代から暴力一般との距離を確実に縮めるようになっています。こうした研究動向を知ることは、とかくスポーツにおける暴力を「暴力根絶」といったイデオロギー的言説で矮小化し、それ以上の意味を問わせない傾向のある我が国の学会や教育界、マスメディアに対して重要な異議申し立てに繋がります。

スポーツにおける暴力の範囲は、例えば、ゲーム中の暴力的プレイは勿論のこと、部活動における上級生の下級生に対する暴力や、指導者の練習中の「ハラスメント行為」、さらにはスポーツマン・アスリートが社会において引き起こす暴力行為などに至るまで、時代の変化とともに研究の外延は限りなく拡大し、複雑化しています。それゆえ、近年の研究動向の一つとして、国際的には、スポーツにおける暴力を「ゲーム中の暴力」(=「スポーツ・バイオレンス」)に限定し、ゲームの<場>から離れたところで発生する暴力を「スポーツに関連する暴力 sport-related-violence」(Smith,M. 1983)へと分類し、その重点化の流れを「スポーツ・バイオレンスからスポーツに関連する暴力へ」(Young,K. 2008)と捉え、議論する傾向が強くなっています。ケビン・ヤングの提唱した「スポーツ犯罪」という概念は、そうした近年の新たな動向を反映したものです。その意味では、「暴力はゲームの一部か」「暴力はスポーツの一部か」を社会文化的・倫理的パースペクティブから問い直すことは、「スポーツとは何か」を問う上で、きわめて現代的意義をもっています。

2.スポーツにおける怪我・痛み・リスク

2004年2月、オスロにおいて「スポーツにおける痛みと怪我」と題してワークショップが開催されました。その成果は、2006年に『スポーツにおける痛みと怪我〜社会・倫理的分析〜』として刊行されましたが、その寄稿者の殆どが「スポーツ・バイオレンス」の研究者でもありました。その序文の冒頭で「アスリートにとって痛みと怪我はスタンダードなものである」と宣言し、それまで全体として生理学の立場から理解されてきた「痛みや怪我、肉体的な苦痛に耐えること」のオーソドックスな医・科学モデルに異議申し立てを行い、アスリートの痛みと怪我の経験に及ぼす社会・文化的影響を考察し、痛みと「怪我を押してプレイすること」が「文化の一部」となっている現実に社会・倫理的パースペクティブから問いを投げかけることの重要性を指摘しました。この宣言は、それまでスポーツにおける痛みと怪我の研究は医・科学の独占物となってきたが、結果として医・科学的研究は、痛みと怪我が社会・文化的事象であることを無視してきたことも露わにしました。

このような研究傾向は、我が国の体育・スポーツ科学にも窺えます。今から8年前、中学校における武道の必修化が現実のものとなった際、柔道の脳震盪の危険性が声高に叫ばれ、柔道の部活動中の脳震盪の発生頻度の高さを根拠に「必修化の阻止」をも主張する批判的言説の台頭すら見られました。部活動中の怪我や痛みを論拠に体育授業における「柔道の危険性」を主張する論理的・現実的破綻は勿論のこと、当事者であるアスリートの「怪我を押してプレイすること」の社会・文化的文脈に目を向けない「医・科学的モデル」の限界を見たように思いました。

ところで、柔道に限らず、その他のスポーツの部活動の臨床的<場>に身を置いてアスリートの怪我と彼らの行動を観察してみると、中学3年生と高校3年生において圧倒的に重度の怪我が多いことが判ります。すなわち、そこには、試合や練習以前に既に「怪我や痛みを抱えている選手」が「これが最後の大会だから」と言って、医師の診断と忠告を振り切って出場している現実があります。このことは明らかに「医・科学的モデル」の限界と社会・文化的パースペクティブの必要性、そして今まさに私たちに求められている最も重要な研究課題であることをも示しています。

今日、私たちは、1990年代から始まる「リスク社会」の現実を生きています。「安全・安心」は、私たちにとって日常生活の最も大事な価値である、その一方で「自らリスクを冒す」という逆説的・人間的な側面をますます露わにするようになっています。このような人間的側面をスティーブン・リングの提唱した「エッジワーク edgework」という概念を通して明らかにするのが、現在の私の最も大きな課題です。「自らリスクを冒す行動」は、私たちのスポーツ行動に通底して観察されますが、「再帰的近代」と言われる現代社会においては、登山やバックカントリースキー、さらにはエクストリーム・スポーツ等々に典型的に見られるように、それ自体、固有のスポーツ文化として、また新たな人間の生き方として立ち現れるようになっています。本ブログの第一報では、現代山岳文化を題材に、このような文化の台頭の背後にある社会の変化と人間模様に迫っていきたいと考えています。

3.戦後民主主義と武道

1991年、戦後40年余りの「空白期」を経て、学校体育で柔・剣道等の教材を「格技から武道へ」と名称変更する学習指導要領の改変がなされました。その歴史的背景には、戦後の教育改革の中で「武道」という言葉には「軍国主義」「国家主義」「民族主義」を助長する意味が含まれているという理由で、まさに法的に禁止されたという過去がありました。「武道」の復権を契機に、講義を通じて中学・高等学校の体育教員を目指す学生達に向けて、その不幸な歴史の背景に「戦後民主主義のイデオロギー批判」の運動が存在したことを本格的に伝え始めましたが、それに関する興味関心を示す学生は殆どいませんでした。

私が学部と大学院で過した1970年代は、この戦後民主主義のイデオロギー批判が吹き荒れていた時代であり、剣道を嗜んでいるというだけで、まさに「居心地の悪さ」を日常的に感じておりました。この居心地の悪さは、体育・スポーツの研究世界に身を置くすべての武道の研究者が等しく抱いていた感情でした。こうした人々にとって、1968年に学術団体として設立された「日本武道学会」はまさに救世主となるものでした。その結果、日本体育学会では居場所のなかった武道の研究者の殆どが自らの活動の拠点を日本武道学会へと移してしまうことになり、スポーツ化の進んだ柔道を除いては、今日まで体育・スポーツ科学へと再び戻ることはありませんでした。

このことは、今日まで体育・スポーツ科学の世界に武道の学問的<知>の集積が十分になされてこなかったという事態を招きました。この不幸な現実は、武道の必修化を契機に「武道を以て何を教えていけばよいのか分からない」といった悲痛な叫び声が大学の研究者や中学校の教員から上がってきたことで白日のものとなりました。武道を通して「伝統」や「固有の文化」を伝承することの意義を謳う学習指導要領を現前にして、私たち武道の研究者・指導者は、いかにして教育の現場から寄せられる期待に応えていくか、が問われ続けています。

概略、以上のことを理解していただいたうえで、これまで私の執筆してきた著書論文の紹介や公開・未公開の講演等の原稿、スポーツにおける暴力や怪我、痛みに関して現在進めている研究の内容、さらには授業研究等も含む現代の武道やスポーツに関するエッセイ、海外の学術文献の紹介、等々について本ブログで寄稿していきたいと考えております。先ずは、この10年ほどの間に招請されて行った学会等における講演内容を起こすことから始めたいと思います。